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2006年2月17日 (金)

養老先生の騙し術??

2月17日:高校での講義の内容。「水を飲むとき、まず、飲みたいという意識が頭の中で生まれて、それからコップに手を伸ばす、と思っていないか」。実際には、「飲みたいと思う0.5秒前には、行動の指令が出ているのだ」。

 「熱い鍋に直接触れたら、さっと手を引っ込める。そしてそれからアチッと思うだろ」。

 「頭で考えていることが立派だと思っている人が多いけど、意識というものは、実は後からついてくるものにすぎない。いってみれば後知恵である。ところが文明が進めば進むほど、意識の部分ばかり肥大化してきている」。

 「だから若いうちは、むしろ「感覚」の世界を磨いて欲しい」。

C先生:これは養老先生の「独特な騙し術」のような気がする。「水を飲みたい」、「熱いものに触ると手が引っ込む」のは、反射とでも言えそうな、かなり本能に近いところの事象なので、これらは確かに意識なしにも可能ではある。ところが、例えば、地球環境と調和したライフスタイルに変えようと思ったとき、いくら感覚を磨いても、それだけでは無理というもの。多くの事象は、本能的なものと、理性的な判断によってなされるものとの中間であって、すべてが感覚だけで行動できるというものではない。
 感覚というものも、したがって、大脳の中身でかなり違ってしまうものなのである。かなりの分野については、意識的にある情報を集積しないかぎり、その領域における「感覚」というものが生まれてこないのだ。かなり感性に近いところであるファッション感覚でもそうかもしれないし、音楽や絵画の感覚でもそうかもしれない。

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コメント

理性的な部分と、感覚的な部分はともに大事だと思います。
今の世の中が感覚より知識を優先している部分はあると思います。

投稿: 高校教師(新米) | 2006年2月20日 (月) 16時13分

養老先生は、
「感覚は、知識と経験で裏打ちされるものなので、知識だけでは感覚は磨かれないので、若いうちはいろんな事を経験したほうが良い。」(意訳し過ぎか?)と言いたいんじゃないかな。

それにしても、回りくどい下手な言い方。学校の先生には、向いてないような気がする。
「水を飲むとき、、、、。」も「熱い鍋に直接触れたら、、、、。」も、感覚とは関係ないだろう。

投稿: 安ど | 2006年2月20日 (月) 19時34分

 いつも首尾一貫している人間なんておりません。安井先生もそうでしょう。
 2年ほど前に養老先生と呑みましたけど、話はあっちへ行ったりこっちへ行ったりでした。むろん首尾一貫など関係なし。講演なんて、そんなものでっせ。
 ちなみに養老先生は、日に2箱の私メが真っ青になるほどのヘビースモーカー。

投稿: 与太郎 | 2006年2月20日 (月) 22時22分

C先生がこのデキゴトに着目された理由はわかりませんが、私は養老氏のようなこういう発言がにせ科学の第1歩であるといういみで問題だと思います。

「感覚は、知識と経験で裏打ちされるものなので、知識だけでは感覚は磨かれないので、若いうちはいろんな事を経験したほうが良い。」というようなことをいいたいということ自体は結構ですが、それは氏の意見であって科学とは関係なく存在するものだとおもいます。その意見を補強する材料として科学っぽいことを持ち出し、それによって自分の意見の「普遍的正当性」を印象付けようとする、おまけにその持ち出した科学っぽい話自体が不正確あるいは不適切である、というのはよくないです。都合のいいところで科学をつまみ食いしようとする態度はにせ科学の方法論に共通するものでしょう。

投稿: しげみ | 2006年2月21日 (火) 18時20分

この話、B・リベットの実験を背景としてますよね。
養老さんは、この実験結果で出てくる因果の面白さに加え、脳内ホムンクルスの復活というパラダイム上の面白さ(天の邪鬼的?)に惹かれつつ、さらに自らの経験をそこに重ねて後輩に対するsuggestionをしたんじゃないかと思います。
リベットの実験結果の一つの解釈として、言語化された”意識”の前駆的な脳の状態として、全感覚的な”無言の私”がある。言語化された”意識”というのは、”無言の私からの答え”がある種のインタプリタを通じて抽象化されたものである、ということがあるかと思います。
単純なビット換算では、そのインタプリタは10Mbit/sの元データを意識のレベルで50bit/sまで削減してしまうことになるそうで、ものすごい抽象化が起こっているわけです(五官の入力を考えると当然ですけど)。
こう考えたとき、抽象的論理的な体系としての言葉≒意識の枠組みにあまりにも大きな優位を与えて、体験・経験を伴わない知識の中だけで世界観を構築することは、生々しく我々を取り巻く現実との、例えば20万倍のギャップを生んでしまう。
それは、実はつまらないんでないか?
というのが養老さんの仰っていることのように思えます。
あれ、長々とすみません・・・

投稿: たこ | 2006年2月24日 (金) 20時27分

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