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2006年11月19日 (日)

HPの更新 オール電化再考

 サンフランシスコで米国化学工学会に出席しておりました。日本人の参加者が非常に多かったのは、日本化学工学会との共催のサスティナビリティ関連のシンポが多かったから。そこで、コチェアをやることと、自分でもなにやら哲学的発表をすることが義務。関連する発表をJCIIの内藤さん、三菱化学の倉澤さんがやった。久しぶりのサンフランシスコだったのですが、よくよく考えてみたら、サンフランシスコにこれほど長い間滞在したのは始めて。食事だが、アメリカの標準から言えば、非常に質が高かった。中華、和食、米国、タイという晩飯のバラエティ、昼は、インド、中華、メキシコだった。

さて、今回は、オール電化に関する2つの異なる報告書の評価。エコミシュランの再開で研究会の会場で端谷氏から紹介されたもの。

http://www.yasuienv.net/

エクセルギー的な考え方を普及させる必要があるのかもしれない。そのうち、考えたいと思いますが。。。。

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コメント

気候ネットワークの報告書の「電気は...効率の悪いエネルギーである」というのは、電気というエネルギーの形についてではなくて、一次エネルギーを電気の形に変えるという人間社会のエネルギー利用形態についての評価だと思います。ただし、すなおに読めば前者の意味になりますから、表現がうまくないことは確かです。
また、この問題はエネルギー資源の有効利用の問題としてとらえるべきだ、というのはわたしは賛成なのですが、気候ネットワークは「...地球温暖化防止に寄与するのか」を論じたいのですから、「地球温暖化防止の観点から考えれば」という切り口になったのは当然だと思います。

さて、熱力学は知っているが実践経験のない理屈屋の立場から見ると、エネルギー資源の有効活用には、一次エネルギー源であるガスを消費者に届け、ガスの火を低エントロピーエネルギー源とした熱機関・熱ポンプ一体型装置で屋外の熱を奪ったうえで廃熱も湯わかしに使う、コジェネの変形のようなものがよさそうに思われます。ただし、そのような装置を作りまた運転するエネルギーコストもありますから、かえってガスを直接熱にしたほうがよいのかもしれません。いかがでしょうか。

投稿: macroscope | 2006年11月20日 (月) 13時06分

>気候ネットワークは「...地球温暖化防止に寄与するのか」を論じたいのですから、「地球温暖化防止の観点から考えれば」という切り口になったのは当然だと思います。

この部分はC先生の指摘が正しいように思います。
原子力発電での熱効率ロス、送電ロスなどは純粋な熱損失であって、その分余計にCO2を排出するわけではありません。
単なる熱放出は現時点で温暖化の要因ではない(蓄積されるわけではない)ですから、一時エネルギーの無駄ではあっても、温暖化の要因にはならないでしょう。

以下、本記事へのコメントです。

まず、調理におけるエネルギー効率の議論ですが、一般家庭を対称にするなら調理に直接利用する熱はそれほど多くないと思います。
風呂&給湯での利用が80%以上なのが普通ではないでしょうか。
(暖房を含めない場合)
さらに、生活スタイルの変化でこの傾向はさらに増して来るでしょう。
そのように考えると、調理における優劣は大勢に影響しないのではないでしょうか?

次に、IHの普及が進んだ場合火力発電所で補う必要が出てくるという部分と、プラグインハイブリッドの影響で深夜電力が…という部分ですが、これらを総合すれば逆に比率は今と大差なく、総合的な使用電力量のみが増えるという可能性は充分考えられると思います。
まあ、近い将来では原発の増設で対処するような方向になるのでしょうが、CO2の排出抑制を考えると原子力への依存もある程度仕方ないともいえるでしょう。
(50年以上のタイムスパンで考えれば、核融合発電の実用化が考えられるかもしれませんが)

他にも、ガスはインフラ整備の問題もありますよね。
都市ガスが来ていない(LPガスを利用している)地域はかなりあります。
こういった地域に地下配管を敷設するのは(トータルエネルギーで考えれば利用可能期間は長いのでたいしたことではないでしょうが、経済的には)結構大変でしょう。

また、本来であれば、地域性の違いも考慮すべきだと思います。
北海道/東北地方などは、太陽光の利用が余り効果的でない・大量のお湯があっても使い道に困らないという特色があります。
これはガス(や灯油)コジェネにマッチしたものでしょう。
逆に、九州以南なんかは、お湯はそれほど使わない&太陽光に恵まれているので、オール電化+太陽光発電(&太陽熱給湯)に向いていると思います。
世界的に見れば、こういった差はもっと大きいでしょうから、その地域の特色にあった方式を選ぶのが肝要でしょう。
そんな感じに考えると、ひとつの席を電力/ガスで争うというのがそもそもばかげていると感じます。

まあ、日本国内として考えた場合は、本州の大部分がどっちつかずの気候なので、揉めるのでしょうがね…
吸収式冷房をうまく使えば(そしてマンション程度の規模でなら)関東程度でもガスコジェネが有効かもしれませんね。

投稿: B-51 | 2006年11月20日 (月) 15時05分

macroscopeさんへ
ただし、そのような装置を作りまた運転するエネルギーコストもありますから、かえってガスを直接熱
熱力学の法則を適用して計算するとエネルギー効率は直接熱にするのに比べて4倍以上は期待できるそうなので、運転コストは気にしなくてよいようにみえます。ただ、東京ガスは既にガスヒーポンの販売をやめていますので、電気のヒートポンプに比べて何か欠点があるのでしょうねぇ。

B-51さんへ
その分余計にCO2を排出するわけではありません。
原子力発電100%ならそうでしょうが、もしその損失が無ければ、原子力以外の発電量を減らせるので、Co2排出量も減るでしょう。

投稿: tea_cup | 2006年11月21日 (火) 20時59分

 オール電化のキーとも言えるIHコンロですが,最近の「暮らしの手帖」の比較記事によると,調理についていえば,IHコンロは欠陥商品といっていいくらい未完成な商品とのこと。ガス陣営は,買い換え需要に備えても良さそう?。
 学会の料理もIHとガスで食べ比べればいいのでは?

投稿: アキ | 2006年11月23日 (木) 10時28分

皆さまは、なぜCO2排出うんぬんを問題にされるんでしょう?
私にはさっぱり理解できません。

化石資源は、いったん掘ってしまえば、遅かれ早かれほとんどが
燃やされ、炭素分Cと等モルのCO2になって大気に出るんです。

かりに京都議定書どおりの排出削減ができても(できっこないけど)、
世界全体の排出削減率は1.5%くらいなものですよね。
(給湯がどうのこうのは、そのさらに何桁も下の話。アホくさ。)

つまり議定書どおりに進んでも、100年後に来るはずだった状況が、
101.5年後に必ずやってくるだけの話。小学生にもわかる理屈。

全世界が10%の排出削減をしても(いよいよできっこないけど)、
100年後を110年後に先送りするだけ。
ほかには何ひとつ起こりません。何ひとつも。

イチローが出てくるENEOSのテレビCMみたいに、ローカルな
CO2排出削減をしたらたちまち青空いっぱいの世界が生まれる‥‥
なんてわけは、絶対にありません。悪乗り企業のイメージ戦略ですな。

そんな阿呆なことに日本だけで年々数兆円のゼニを使い続けるなんて、
絵に描いたような「愚の骨頂」じゃないですか。

本気でCO2が心配なら、クウェートかどこかにゾロゾロ出かけて、
油田を人間の輪でとり囲み、銃殺覚悟の採掘阻止行動をすべきです。
それを何十年も続ける。 ほかに手はありません。

パソコンの電気を使い(根元でがんがんCO2を出し)ながら、
快適なカーライフを楽しみ(やはりCO2を出し)ながら、
愚にもつかないCO2談義をするのはマンガの世界です。
ヨタ話はいいかげんに切り上げて、もっと大事なことに
貴重な時間をお使いになってはいかが?

投稿: 通りすがり | 2006年11月23日 (木) 13時03分

通りすがりさんの(ペシミスティックな?それともアイロニックな?)書き込みの背景にある感情は想像できなくもないのですが,

通りすがりさん自身は,地球温暖化問題や地球(人類)持続性の問題をどのように捉えておられるのでしょうか?

またそれらの問題に対する対処するための長期的な視点での何か建設的な意見をお持ちではないのでしょうか?

是非お聞かせ願いたいと思います.

投稿: 麦麦 | 2006年11月24日 (金) 12時18分

>>麦麦さん  ご意見ありがとうございました。

「俺たちは環境を汚している」と先進国の人間が気づいたのは、たぶん1965年前後でした。以後たちまち法整備を進め(日本は70年の公害国会で十数件の汚染対策法を制定)、担当省庁も生まれて(旧環境庁が71年。米国EPAも70年?)、名高い排煙脱硫を始めとした汚染対策が急激に行われ、85年前後(いまの大学3年生が生まれたころ)までに大気も水もすっかりきれいになりました(60年代後半の東京の薄汚れた空、汚い多摩川を覚えている身に、現在の生活環境は天国みたいなものです)。

となれば当然ながら、関係者たち(役所や企業の環境担当部署、環境保護団体の方々、大学や国研にどっと増殖した研究者など)の仕事が激減しました(むろん地味な汚染監視・対策はいまなお続き、きれいな環境を守っているわけですが、計測の自動化などにより、必要な人員はぐっと少なくてすむようになっています)。

とはいえ、役所の人たち(たとえばEPAの2万数千人)も研究者も、月給をもらっているわけだから、それなりに名目の立つ仕事が必要です。だから常に新しい仕事がほしい。よくしたもので、まさに80年代の中期から、酸性雨、地球温暖化、農薬、ダイオキシン、環境ホルモン、BSE、遺伝子組換え食品‥‥と、次々に「見つかって」きました。地球温暖化話が突発した1988年は、じつに絶妙のタイミングだったといえましょう。つい最近は「ナノ粒子の健康影響」が流行の兆しを見せているようですが、人間が太古の昔から四六時中吸ってきたナノ粒子が問題だなんて、「なにをいまさら‥‥」と思いますね。

地球温暖化問題も持続可能性うんぬんも、そうした文脈の中にある、つまり「人工的な危機」の色合いがたいへんに濃い、と私はみています。

人類を救うとか未来世界を救うとか、耳に心地よいフレーズを弄びつつ、警告を発し、哲学を語る「識者」たちが世にあふれています。しかしよく耳を澄ましても、真に実効がありそうな策は何ひとつ聞いたことがありません(私の耳が悪いのか?)。理念はまことに麗しくても、具体性をいっこうに感じないのです。麦麦さんはいかがですか?

温暖化問題に関する私見は前便のとおりです。地球が暖まっていようといまいと、かりに温まっているとして原因がもし二酸化炭素なら、埋蔵化石資源(の一部)の永久封印以外に「打つ手」はありません(ちがいますか?)。ライフスタイルの見直しも、「二酸化炭素排出の少ない技術・製品」も、みんな「悪乗りのゴマカシ」でしょう(市民にはきちんと分別させているゴミを、焼却炉で一緒くたに燃やしているというマンガ的な現実はご存じだと思います)。

けれど私自身は、そういう方々の言動を全部ダメと言うつもりはありません。雇用を生み、お金を回して先進経済社会を成り立たせるには、いつも新しい仕事(往々にして、一部の人にはまったく無用な仕事)が必要だからです。

たとえば私にとって道端のドリンク自販機はまったく不要なものだし、全国では100万kW(原発一基分)の電気を食っている面も「なんだかなぁ」と思いますが、飲料メーカー、自販機メーカー、配送業者、製缶業者、印刷業者など多くの人々の暮らしを支えているわけだから、強く反対する気にはなりません。

町の美観を損なううえ、人命を守っているとは思いにくい、日本にしか存在しない「街なかのガードレール」は、おそらく鉄鋼業界・建設業界・役所がご相談なさった「成果」で、年に300億円以上を使っていると聞きますけれど、1日1億円分の雇用維持に役立っていると思えば「まぁいいか」です。

環境の危機を煽る方々と、その声に乗っかった形の環境研究者各位を、私はそんな目で見ています。自覚しながらやっている方々には「いいかげんになさったら?」と言いたい一方、自覚していない方々には「かわいそうに‥‥」と言いたい。

ただし、「環境教育」と称して、誕生以後ずうっときれいな環境を生きてきた子どもたちに、「環境はどんどん悪くなっている」「さぁたいへんだ、なんとかしなきゃ」などと唆すのはたいへんまずいと思います。いま「環境」の名をつけた学部や学科が全国に800ほどあり、なお増殖中だそうですけれど、「環境」がらみの修士課程を出た若者が(柱になるディシプリンの習得があやしいせいで)就職のときに苦戦する、という状況が現に生まれています。そういう状況の亢進に寄与することだけは、ぜひやめていただきたいものです。

お答えになりましたかどうか。

投稿: 通りすがり | 2006年11月24日 (金) 14時37分

>>麦麦さん

二つ目のご質問にお答えしていませんでした。

お答えは、温暖化については前記のとおり(ちなみに私は地球温暖化そのものも疑問視していますが、それはたいした問題ではありません)。

後半については、「人間それほど馬鹿じゃない。なるようになる(あるいは、なるようにしかならない)」です。

投稿: 通りすがり | 2006年11月24日 (金) 14時46分

何度か同じ議論をしているので、大枠にはあえて触れず、部分的に気になった部分のみ指摘しておきます。

>と、次々に「見つかって」きました。

そういった面もあるのは確かでしょうね。
環境ホルモン騒ぎなんかは、こういった色合いが強いものでしょう。

しかし、そういうものに関しては必ず異を唱える科学者が存在します。
一昔前ならマスコミに取り上げられなければ、こういった意見は封殺されてきましたが、今はネットがありますので、まず確実に問題提起がある程度大きくなります。

マイナスイオン、水クラスターなんかはネットをはいかいすれば否定的意見が大量に見つかりますし、肯定派/否定派双方の意見をきちんと読めばどちらが正しいかも大抵解るでしょう。

こういった目で温暖化を見てみると、逆に時を経る毎に否定派の声は小さくなっていますね。
そのように考えると、温暖化の可能性はかなり高いと思いますよ。

もちろん、CO2によるものではなく、自然環境の変化に拠るものと言う可能性は充分ありますが、そうだとしても人類が現状の生活基盤を維持するには困るわけで、変化させない方向に努力する他ないでしょう。

また、大きな問題が解決したら陰に隠れていた小さな問題が見つかるのは普通にあることですし、観測技術・シミュレーション技術などの進歩によって昔はわからなかったことが解るようになった(もしくは予測できるようになった)という面も大きいでしょう。

このように「普通に」考えれば、虚像でない問題が実在しているのは事実だと思ってよいと思えますが。

>真に実効がありそうな策は何ひとつ聞いたことがありません

簡単に解決できるような問題ではないからでしょう。
温暖化を完璧に解決するとしたら、仰るように化石燃料の使用を一切やめねばなりません。
しかし、現実にそれでは文明を維持できません。

考え無しに、江戸時代のような生活をすれば良いと言う人もいますが、そういう人は現在の地球人口を考慮に入れていませんし、昔の平均年齢のことも考えてはいないでしょう。

根本解決=化石燃料を使わないで文明を維持し、過激な人口減少ももたらさないためには、化石燃料に依存しないエネルギー源が必要です。
そのためには技術の進歩が必要>時間が必要です。
と言うわけで、単なる時間稼ぎであっても有効である可能性は充分ありうるわけです。

>「人間それほど馬鹿じゃない。なるようになる(あるいは、なるようにしかならない)」

まあ人間がみな馬鹿でないなら、自己破産する人なんて今の半分もいないでしょうし、二日酔いなんて言葉も存在しないでしょう。
私を含めて、人間と言うのは目先の快楽には弱い代物です。
「後悔先に立たず」

また、なるようになった挙句が、人類の滅亡ってシナリオも充分ありうる話です。

投稿: B-51 | 2006年11月24日 (金) 19時11分

>>B-51 さん

ご検察のとおり、私自身は地球温暖化が「問題」だとはこれぽっちも思っていません。(化石資源の封印以外)打つ手のない話は、100年以内に小惑星がぶつかって地球が吹っ飛ぶなんて話と同様、貴重な時間を使って考えるに値しないと思うからです。

けれどあなたは「問題」だとお思いですね。そして対抗策が「時間稼ぎ」? 定性的には美しい話ですけど、定量的にはどうですか? 議定書のセンすら守れそうにない現状では(むろん、みんな快適な暮らしを求めるからですよね)、1%の時間稼ぎもあやしい。かりに0.1%(100年後を「100年+36日後」に先送りするだけ)でも、なお「有効である可能性は充分ありうる」とお考えですか?

投稿: 通りすがり | 2006年11月26日 (日) 09時37分

B-51さんも仰っているとおり,過去にも同様の議論が
ありましたね。
そのときC先生がうまい表現で説明していましたよ。
今やっているのは将来に向けて投げるボールにほんの
わずかの修正を加えるに過ぎませんが,そのわずかの
違いが将来にわたってどんどん大きな差になってくると。
・・・こんな感じだったかな?

0.1%を100年+36日という計算も数字を単純に
掛けているだけであって正しく理解していないようですね。

投稿: STONE | 2006年11月27日 (月) 09時10分

 今では、どの企業も汚染防止をする社会的責任を感じて実行しています。しかし、高度成長が始まった頃には、「そんなことをしていたら食えないぞ」と頭ごなしにに反論されたちに違いありません。

 あの時代、環境破壊を危惧する人たちは相当肩身が狭かったでしょう。街で啓蒙活動などしようものなら、「行きずりの人」に「あんたらのいうことはウザイんだよ(このセリフは今風だが)、現実を見ろよ」とか、ネガティブな言葉を吐き捨てられたりしたこともあったでしょう。

 でも、汚染の問題を放っておかなかったから、今日の環境(十分よいかは別として)があるのです。ところが、いま、汚染よりもっと複雑で規模が大きな問題に立ち向かっているわけです。

 先進国だけが京都議定書の遵守に向かって努力をしてもたかが知れていますが、中国・インドの経済成長による問題がより表面化してきたとき、京都議定書のパラダイムが脚光を浴びてくるに違いありません。

 すぐには出来なくとも、結果が目標に及ばなくとも、先々を予測し、よりよい方向へ向かって努力する、それが人類に英知がある証しだと思います。

投稿: やながわ | 2006年11月27日 (月) 13時57分

>定性的には美しい話ですけど、定量的にはどうですか?

通りすがりさんのような方にこそ「ハチドリのひとしずく」を読んでいただきたいですね。

ちなみに、地球温暖化の予測モデルはかなりアバウトだと言わざるを得ないのは事実だと思います。
つまり、今のペースでCO2を排出しても「実は温暖化など起こらない(起こっても許容範囲に収まる)」かもしれませんし(まあこれはおそらくありえないと思いますが)、今の半分にしたところで「結局時間稼ぎなど数年くらい」でしかないのかもしれません。

ですが、解らないからやらなくてもいいのではなく、わからないならできる範囲のことをするのが賢いやり方だと思いますよ。
逆に、解らないので極端な対策(すぐに化石燃料の使用を全面禁止するとか)まではしないのは言うまでもありません。

投稿: B-51 | 2006年11月27日 (月) 14時56分

最初のコメントから麦麦さんのレスまで23時間経過しているところを見ると、
恐らく皆さん、レスするに値しないと思われたのではないでしょうか。
僕もその一人です。
ところが2つめの投稿で、通りすがりさんはきちんと考えられた上で
発言されていることがわかりました。
それを引き出した麦麦さんにも感謝しなくてはなりません。

さて、このサイトで(というか環境の世界で)通りすがりさんのような存在は
とても貴重です。
実はこれが、サイレントマジョリティを代表した声かも知れないからです。
では長くなってしまいそうなので、箇条書きで。

・「人間の輪」の効果は、通りすがりさんが「愚の骨頂」としている内容と
 差があるようには思えません。

・通りすがりさんは70年代~80年代の公害対策は評価しておられるようですが、
 温暖化対策も基本的には同じではないのでしょうか。当時だって通りすがりさんと
 同様の反論はあったはずです。

・何もしなかったケースと比べれば、すでに何%かの効果は出ていると思います。
 何十年かは時間稼ぎできたのではないでしょうか。

・>人間それほど馬鹿じゃない
 過去に滅んだ文明はほとんど環境問題(資源枯渇を含む)による、という話を
 聞いたことがあります。本当かどうかはわかりませんが。

・>なるようになる(あるいは、なるようにしかならない)
 そのように達観されるのであれば、温暖化対策だって「なるようになった」
 結果という解釈になるのでは?
 愚の骨頂、と力説すること自体が無意味なことに思えます。

・自販機やガードレールを容認されるのに、なぜ環境研究者には
 「いいかげんになさったら?」なのかがよくわかりません。

・量的な不確実性が、対策の必要性を感じないということにつながっているのだと
 思いますが、通りすがりさんは保険には入ったことはないのでしょうか?
 また、予防注射もしたことがないのでしょうか?
 出かける時点で雨が降ってなければ傘は持たずに出かけるのでしょうか?
 確かに、温暖化問題はこれらに比べればはるかに予想の精度は低いですが
 あくまでハザードの大きさとの兼ね合いだと思います。

・>ただし、「環境教育」と称して、誕生以後ずうっときれいな環境を生きてきた
  子どもたちに、「環境はどんどん悪くなっている」「さぁたいへんだ、なんとか
  しなきゃ」などと唆すのはたいへんまずいと思います。いま「環境」の名を
  つけた学部や学科が全国に800ほどあり、なお増殖中だそうですけれど、
  「環境」がらみの修士課程を出た若者が(柱になるディシプリンの習得が
  あやしいせいで)就職のときに苦戦する、という状況が現に生まれています。
  そういう状況の亢進に寄与することだけは、ぜひやめていただきたいものです。

 この点は全く同感です。少なくとも私の周囲では、大学(院)でそのような教育が
 主流であるという話は聞きませんが、小学生相手だとけっこうそういうそそのかし
 が横行しているかも知れません。

以上揚げ足取りですみません。


投稿: ととちお | 2006年11月28日 (火) 00時30分

>最初のコメントから麦麦さんのレスまで23時間経過しているところを見ると、
>恐らく皆さん、レスするに値しないと思われたのではないでしょうか。

私は、通りすがりさんのコメントの内容が過去の与太郎さんの投稿と酷似していたので、同一人物だろうと考え、同じ議論の蒸し返しを避けるためにスルーしていました。(邪推であれば申し訳ありません)
http://mntrav.cocolog-nifty.com/kankyo/2006/07/post_e0cb.html#comments
当時もあまり有効な反論を得たという感触はしませんでしたし。

今回は麦麦さんがうまいこと細かい点を引っ張り出してくれましたので、極力同じ議論に終始しない点のみRESしてみたつもりです。
#実際にはやっぱり同じところに行き着いてしまった感は強いですが

結局今回も投げっぱなしで議論にはなりませんでしたね。
まあ、温暖化問題自体が精度の低い予測に拠っている以上、通りすがりさんのような考え方を真っ向から否定することもできないので致し方ないのですが。

>実はこれが、サイレントマジョリティを代表した声かも知れないからです。
そういった考え方は確かに重要ですね。
ただ、(内容についてはさておき)Day after tommorowみたいな映画ができることからして、大衆レベルでも温暖化に危機意識を持っている人の方が多いとは想像していますが。

投稿: b-51 | 2006年11月28日 (火) 13時37分

>通りすがりさんのコメントの内容が過去の与太郎さんの投稿と酷似していたので

与太郎さんや通りすがりさんとよく似た論調の文章を、本や専門誌で読んだことがあります。そこから強く影響を受けられた方なのかもしれませんね。


投稿: 関係者 | 2006年11月28日 (火) 21時00分

>人類を救うとか未来世界を救うとか、耳に心地よいフレーズを弄びつつ、警告を発し、哲学を語る「識者」たちが世にあふれています。しかしよく耳を澄ましても、真に実効がありそうな策は何ひとつ聞いたことがありません(私の耳が悪いのか?)。理念はまことに麗しくても、具体性をいっこうに感じないのです。麦麦さんはいかがですか?


通りすがりさんの言われることは、大変よくわかります。短期的に達成可能な具体的な解決策など誰にも示しようがないと私にも思えるからです。

そしてほとんどの一般市民の日常生活感からは,地球持続性問題の深刻さはほとんど感じることはできないと思います.

そのような現状で個人として地球温暖化問題に限らず人類の進む方向を考える場合には,時事的な問題に対する正確な知識,論理的思考力,未来に対する想像力,他者,特に次世代に対する愛情などが重要になってくると思います.また専門的な知識はあるに越したことはありません.通りすがりさんはその書き込み内容からこれらの要件の大部分を満たすように感じられましたので,私は敢えて質問させて頂きました.

ところで地球温暖化問題に対処するための方法を突き詰めて考えると私はまず,国家、経済、価値観の3つの壁を越えなければならないと感じています。科学・技術的な問題は,専門家として取り組むべき問題であることは言うまでもありませんが問題の認識さえできれば,人類全体としてはむしろ副次的、補助的な問題ではないかと捉えています。

国家の壁: 国家間の競争や先進国対発展途上国などの問題は、同じ認識に立って世界的な問題解決に取り組む上での大きな障害です。

経済の壁: 現在の経済システムは、モノを造って売り利潤を得て、その利潤の一部が労働者・消費者の収入になり。その収入で消費者はモノを買うという活動を中心に成り立っています。日常生活に必要以上のモノが生産・消費されている現状では,CO2削減のためには経済活動をスローダウンするのが一番効果的です(上の国家の壁と関連して軍事活動とそれにともなう経済活動も含まれますが).しかし現状の経済システムでそのような自律性を望むことは,ほぼ不可能です。なぜなら、現状の経済システムは、国家の場合と同様に、競争(自由競争)を基本原理として成り立っているからです(国家間はかなり不自由・不平等な競争のようですが)。

価値観の壁: 人は誰でも豊かさあるいは幸せを求めます。しかし現代では、その豊かさが、物質的豊かさと同義に使われる傾向がますます強まっているように感じます。これからは物の消費による豊かさを精神的豊かさに置き換えたりモノの所有をサービスの享受に置き換えたりするような、価値観の転換が必要でしょう。

多くの人は,この3つの壁というか状況を,決して変えることのできない前提と捉えているのではないでしょうか.もしそうであれば,革新的な科学・技術の進歩が人類を救えるというように考える人もいるかもしれませんが,変えられない前提故に,今のペースで,地球温暖化問題やそれに対処する科学・技術が進歩しても「何も変わらない」,「なるようにしかならない」と多くの人が考えるのはごく自然なことです.

さてどういたしましょう?何とかいたしましょう.通りすがりさんも是非,考えてください.

投稿: 麦麦 | 2006年11月29日 (水) 13時40分

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