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2007年5月20日 (日)

5月20日:不愉快な本

「割り箸はもったいない?」田中淳夫著、
ちくま新書、ISBN978-4-480-06364-9

 日本という国は不思議な国で、環境問題に関しては、正論を述べた本よりも、奇をてらって、常識を挑戦することを謳う本の方が売れる。歴史的には、武田邦彦氏の「リサイクルしてはいけない」がある。

 この本もまさにその通りであった。現在の中国産の割り箸の実態について、なんら新しい情報は書かれていない。

 主張は、

 「割り箸は森を殺さない。まず、一つ目は割り箸が森林破壊を引き起こすという声は、大袈裟だということだ。端材から生産される国産割り箸はもちろん、中国を初めとする海外生産の割り箸でさえ、材料として使われる木材の量は、消費量全体からすれば極めて小さい。そして、シラカバ、ポプラは、割り箸だけではなく、製材・集成材や合板、パルプ用として伐採されている。そちらの方が量的には多いはずである。用途として、割り箸をあえてクローズアップする理由はない」。

 「第二に、割り箸産業は、規模にかかわらず地域社会や経済と密接に結びついている。日本だけでなくて、中国にも割り箸の需要があるり、地場産業としての雇用を支え、地域経済に影響を与えている。しかも、生産者は、たいていは弱小の事業体。割り箸を排除すれば、彼らを苦しめることになるだろう。そして、割り箸事態は、衛生などの観点から社会に貢献する面が小さくない」。

 このロジックは受容しがたい。まず、レジ袋にしたところで、年間使用量は、石油全使用量に対しては、0.1%に過ぎないだろう。

 レジ袋の場合も、無駄とは何か、ということを議論することに意味があるのだ。省エネなども全く同じ。無駄とは何か、それを議論し、小さなものでもそれを削減する。そんなことを続けていれば、そのうち、大きな削減策が出てくるものなのだ。

 「割り箸はやはりもったいない」のである。

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コメント

そもそも割り箸というのは、駅弁や蕎麦屋程度で出る
外で食べる事を前提としたおまけ程度のものだったはず。
家にもって帰るはずのコンビニ弁当についてくるのは
やはり勿体無いというものでしょう。
それに中国が木材値上げすると決めたり、石油高になったとたん
それまでコンビニで何も言わずにつけてきた割り箸とか
ストローを「つけましょうか?」とたずねてくるようになったと
いうことは資源やコストからも無駄だということだと思います。
また、資源として使用される量が少なくとも
必要な木材が森に点在している場合、大抵端から
片っ端に伐採するので森がなくなる事もあります。
間伐して細々と取り出すなら別ですが、手間とコストが
かかって仕方ないでしょう。

投稿: フミ | 2007年5月21日 (月) 22時12分

先生が何となく、ふだんと逆のことを仰っているような?という第一印象でしたが、要するにレジ袋も割り箸も「簡単にやめられる」という前提なんですね。これが仮に、マスコミが大々的なキャンペーンをやってコストをかけて割り箸をなくそうとするなら、ダイオキシンやBSEのように「かけるコストの方がムダ」ということになるのですよね。

割り箸そのものも然ることながら、最近ではレストランの割り箸が透明の袋で密閉されていたり、つまようじが一本ずつ袋に入っていたりしますよね。神経質さには自信のある僕ですが、さすがに今の日本の衛生観念の暴走は歯止めをかけないと…と思います。

投稿: ととちお | 2007年5月21日 (月) 22時33分

 割り箸を止めても、食堂などでは、コストと耐久性の面でプラスティック製になるでしょう。これは石油製品。そして、使用するたびに洗わなければならないから、洗剤と水を使い、排水処理が増える。そこまで考慮に入れないと。

> 最近ではレストランの割り箸が透明の袋で密閉されていたり、つまようじが一本ずつ袋に入っていたりしますよね。

 その袋に「間伐材使用」とか「端材使用」とか(本当にそうならば)印字しておけば、短絡的な環境破壊論に結びつかないと思いますが。

 発展途上国で何も耕作されていないところに割り箸用の木を植えて輸出するなら、地元経済のためにもによいことだと思います。

投稿: やながわ | 2007年5月22日 (火) 11時09分

割り箸は環境破壊の現況である、というスケープゴートを立てることによって、本来の(つまり、もっと大規模な使用による)伐採の事実から目をそらさせる。

そんな現実から見れば、この本の主張には意味があるのでは?

単に奇をてらっただけと決め付けるのはどうかと思いますが。

投稿: あめりお | 2007年5月22日 (火) 11時40分

私的には、割り箸もゴミ袋も作る方面よりも捨てる方面に目を向けるべきではないかと感じます。
割り箸もゴミ袋も、作った分捨てるという使い捨て品であることが問題です。
再利用することが出来れば、家庭においてはもったいないと言うよりむしろありがたい存在です。
我が家では割り箸を調理箸や取り箸として、薪の足しとして活用させていただいています。

投稿: 土方 | 2007年5月22日 (火) 17時21分

>薪の足しとして活用させていただいています。

むちゃくちゃ懐かしい言葉です!!
風呂の焚き付けに使えば楽でしょうね?
要するに価値観の違いだと受け止めます。
何も燃やせない都市環境と、薪ストーブの煙が漂う田舎の環境と。
但し、レジ袋は燃やしたことがありません。
ろくでもないと見当がつくから。

投稿: 環蛙” | 2007年5月22日 (火) 21時42分

私はやはり0.1%に過ぎないレジ袋を騒いでも仕方がない気がしますが。

それより大きな効果が得られるところに注力すべきでは?

投稿: Metal | 2007年5月24日 (木) 00時39分

ちょっと驚くほど粗雑な意見ではありませんか?

レジ袋が問題視されるのはゴミ問題からで、石油の無駄遣いを指摘されたことはありません。
ゴミとしても、割り箸は木材で基本的に環境に低負荷ですし、石油製品であるレジ袋と比べるのは間違いでしょう。

それに割り箸をなくして使う塗り箸が、それほど環境に優しいとは思えませんが。この本によると、塗り箸の素材となる木はニューギニアの天然林から取り出しているそうで、資源枯渇が問題になっているそうです。

投稿: ミミ | 2007年5月24日 (木) 15時46分

問題については、見方は時々によって変化します。
ゴミ問題(腐らない)であったレジ袋も、石油ピーク論で「石油の無駄遣い」と言われ始めたと記憶しています。

”この本によると、塗り箸の素材となる木はニューギニアの天然林から取り出しているそうで・・・”

C先生の講義を聴いていますか?
メディアがどのように振る舞うか?
自分の結論に都合の良い部分だけを集めますよ。

投稿: 環蛙” | 2007年5月24日 (木) 16時59分

ミミ様

レジ袋が問題視されるのは石油の無駄だからでしょ?
それに私はレジ袋と割り箸を比べてはいませんが。

カイゼンには費用も時間もかかります。
だからより効果のでるようなところに注力すべきでは?
と言っているのです。

投稿: Metal | 2007年5月24日 (木) 23時43分

前記の私のコメントは、Metalさんのコメントへ付けたのではなく、本文宛のつもりなのですが……。

「より効果の出るところに注力すべき」だから、割り箸を批判するのはズレているという点は同感です。

投稿: ミミ | 2007年5月25日 (金) 00時13分

割りばしで食事をするとなんだか侘しい感じがするのは私だけでしょうか。お気に入りの塗ばしを毎日使う贅沢、自分で食事を作り味付けをする贅沢、すると自然に割りばしを使わなくなります。

昔は家庭で割りばしも洗って何度も使っていた気がしますが、今は、、、

投稿: | 2007年5月25日 (金) 08時19分

家では割り箸を何回か洗って使います。
箸の使い方がへたなのか、
嫁によると、うどんとかの麺類の場合は
塗り箸よりも割り箸が滑りにくいので使いやすいとのこと。

投稿: shin1ro | 2007年5月25日 (金) 08時44分

>レジ袋が問題視されるのはゴミ問題からで

ゴミ問題であるのなら、燃やしてしまえば済むことです。
一昔前は、プラスチック類を燃やすとダイオキシンが出るとか、東京都の処理能力不足で燃やせない>埋め立てる>分解されないということで問題になっていましたね。
ですが、ダイオキシン問題はほぼ解決(元々大した問題でなかった&騒がれて焼却炉が高性能になった)ですし、処理能力の問題も性能アップでそれほど問題なくなってきています。

そうなると、あとは石油の無駄遣いが残るだけです。
ちょっと前の原油高騰でいろいろ騒がれたのはご存じないのでしょうか?

私の意見は既に出ていることと同じ&過去に何度か書いているので、詳しくは書きませんが、レジ袋にしても割り箸にしてもスケープゴートの意味合いが強いということですね。
もちろん、大したコスト(経済的なものだけでなくいろいろ含めてのコストです)を掛けずに用意に無くせるのなら、やっても良いとは思いますが、いろいろな問題を引きずりながら無理やりやるくらいなら辞めたほうが良いと思います。

一番簡単な方法はレジ袋も割り箸も有料化することでしょうけどね。
1枚/膳あたり1~2円で、欲しい人だけ「買う」ようにするのが一番手っ取り早いし、副次的な問題も局限できると思うのですがね。

投稿: B-51 | 2007年5月25日 (金) 11時17分

何事も無駄でないものは無いよう思います。
そもそも、袋も箸もタダって言うこと自体が問題違いますかね?

タダには常に誰かの負担があるはずで、消費者が本来すべき負担を売り手、作り手に要求する自体が傲慢な消費者を生んでいる気がしています。

投稿: 帯解寺最寄角 | 2007年5月25日 (金) 14時58分

有料化というより、すぐできそうなこととして
コンビニ弁当など割り箸がもとからついているのは廃止
(レジでつけてもらう)
レストランでは塗り箸と割り箸を両方置く
これだけでも少しは違ってくる気がします。

投稿: ととちお | 2007年5月25日 (金) 23時40分

安井さん、トンデモ系の二分法に陥っていませんかぁ?
いつも、楽しくウェブ読んでいますが、今回はちょっと
なんというか、単純に記述しすぎに思います。

件の本をちゃんと読めば、木の種類によっては
環境負荷や資源の問題から、問題は多少はある、という話も
書かれていますが、それを無視するってのはいかがでしょうか?

実際、廃材利用の資源有効利用産業をいう側面が
ある種類の割り箸にはあるのは、事実、なのですから
それまでもないものとして、もったいない、とやるのは
トンデモさんがよくやる○か×かという二分法ですよね。

ある種類の割り箸は、グレーから黒に近い存在だが、
ある種類の割り箸は、大きな問題ではない、とうのが
件の本の主張だと思います、

理性的な人間であれば、グレーから黒に近い存在の割り箸を
どうにかしよう、というところでいいのではないかと
思いますが、いかがでしょうか?
そして、それについては、件の本も認めているかと思います。

投稿: SC | 2007年5月28日 (月) 14時56分

本HPはいつも参考にさせていただいております。有難うございます。
割り箸やレジ袋を使わない、マイ○○を持参する運動そのものは否定するつもりはありません。ただ、「できることから始めよう」という環境運動は、それそのものが目的化してしまったり、またもっと大きな構造的問題に目が向かなくなってしまうことなど、市民的環境運動のポテンシャルを活かしきれないという点で再考したほうがいいのではと思います。「できることから始めよう」はまさに日本流のフォアキャスティング、現実からみて出来なそうなことを実現達成するためのツールがバックキャスティングだと思います。環境保護運動のありかたがフォアキャスティング的思考でいいのか、その点についていかがでしょうか?
また本書「割り箸はもったいない?」はその点、冷静な思考を読者にも求めている点においていわゆるトンデモ環境本とは違い、一読に値するものと思います。先の方のおっしゃるように○×二元論で評することに疑問をもったもので書き込みした次第です。

投稿: tp | 2007年5月29日 (火) 23時56分

 某T先生の環境問題のウソの本を意識しすぎかもしれませんが、この著者のメンタリティーは、「世の中の流れに疑問をはさむことで、注目を浴び、そして自著を売り込む」ものと感じました。題名がまずいけない。この本の中身だったら、「やはり割り箸はモッタイナイ」が題名ではないでしょうか。素直に、この題名を付けられなかったために、量的には極めて少ない例外を弁護するしかなかったのでは。ただし、この題だと本は売れない。まあ、そうでなくても売れないでしょうが。
 割り箸運動というものが目的化し、市民運動のポテンシャルを活かしきれないといった例があるかどうか。マイ箸をやっている人々は、市民運動というよりも個人のライフスタイルとしてやっているように思います。一部には、例えば、石けん運動のように運動が目的化している環境活動があるのも事実ですが、割り箸を止めようということに関しては、まだ運動にもなっていないという認識です。
 環境保護運動がバックキャスティングだけとは思っておりません。と言いつつ、バックキャスティング的な発想の重要性を述べていますが。
現実的な感覚を持ちつつ行動し、落とすべきゴールは、バックキャスティングで探る。こんな感じでは。
 皆さまは、大部分の割り箸はモッタイナイと思うのかどうか、もう一度うかがいたい。ただし、私もマイ箸を持ち歩いておりません。
 

投稿: C先生 | 2007年5月30日 (水) 00時20分

>皆さまは、大部分の割り箸はモッタイナイと思うのかどうか、もう一度うかがいたい。

もったいない(無駄である)かどうかと言う点で言えば、無駄である場合が多いと思います。

とはいえ、実際に必要(絶対不可欠というほどではなくても、割り箸の方が利便性が大きい)とされるケースも少なからずある(出先での食事に使うなど)分けですから、「割り箸はすべて無駄遣いだ」という極端な二元論に陥りそうな情勢には疑問を感じます。

ちなみに、一言で割り箸と言っても、飲食店での利用と、コンビニや弁当屋等での利用(配布)は分けて考えるべきでしょうね。

飲食店の場合は、屋台やファーストフードなどといった特殊なケースを除いて、明らかに無駄だと思います。
コンビニ等に関しては、「無条件にタダで付いてくる」ことを辞めればそれで良いのではないかと思います。
必要な人は対価を払って買えば良いということで。
#それだけで消費量は大分減るでしょうし、最近のコンビニはサラダのドレッシングを別売りにしているところが主流なのでやれないことは無いと思います

投稿: B-51 | 2007年5月30日 (水) 14時41分

>題名がまずいけない。
>まあ、そうでなくても売れないでしょうが。
思わず、モニターに向かって笑いました。先生って素直なんだなぁ。。。と。この辺の文書は、完全に、単なる感情論であることの証左ですからねぇ。


田中氏の著書には『森を守れが森を殺す』というセンセーショナリズム的なタイトルの本がありますが、氏のブログを読むと、そのタイトルは著者の意向とは別に、出版社主導で決まったことがわかります。極めて当たり前ですが、出版というビジネス活動において、リスクを負う人間(ここでいえば出版社)が、重要な決定権を持つのはごく普通のことですからね。

さて、件の書名についてですが、本をごく普通に読めば、割り箸について興味を持ち、いろいろ取材して回った・・・とあります。よって、「割り箸はもったいないのか?」というのが、取材の当初の動機なのですから、本の名前としては、『森を守れが森を殺す』のような売らんかなの姿勢は含まれていないように、私には思います。

それに、副題は「食卓からみた森林問題」ですから、身近なところから、林業そして森林問題を考えてみよう。そして、それは多面的な要素が含まれているのだ、という提案ですね。田中氏のブログでも同様のことが書かれています。http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2007/05/post_51b5.html


田中氏のブログでは、林業問題のど素人、と安井さんのことを書かれていますが、それに近いものを私も感じます。長年、「市民のための環境学ガイド」のファンである一人としての苦言ですが、あまり詳しくないもしくは十分な情報を持っていないものについては、大上段から切って捨てるような書き方はされないほうがよろしいのではないでしょうか?

よくわからないことに対して、安易かつ単純化した記述をしない、というのは、科学者が守るべき前提ですし。

私が気になった件は、これで二回目です。一回目は、「水からの伝言」問題について、検証実験を行うべきではないか? と書き、山形大学の天羽先生等から、ちがうだろ、という突っ込みをもらっていた件です。笑。


これからも記事を楽しみにしております。

あと蛇足ながら「もったいないと思うか?」という問いかけですが、いわゆる「好き嫌い」という情緒論を展開しても、問題は解決しませんし、一番大事なことを見えにくくする、というのは、先生もよーーーくおわかりかと思います。それなのに・・・。笑。

投稿: SC | 2007年5月31日 (木) 09時32分

 この本を読んだときの違和感がどこから来ているのか、それがやっと分かったような気がします。ご紹介いただいた田中氏のブログにある、ご本人の言葉からなのですが。
 「割り箸にまったく環境負荷がないとは思わないけれど、利便や文化などの面も忘れてはいけない……常に多方向から眺めたいと思っています。
 だから、世間が割り箸の浪費を当たり前とし始めたら「割り箸はもったいない!」という本を書くかもしれません(笑)」。
(1)割り箸が大きな利便性を持っているとも、文化であるとも思えないこと。利便性よりも、採算性が優先されているだけではないか。さらに、文化であるが、中国産の割り箸のどこに文化を感じるのだろうか。いずれにしても、国産の使い勝手の良い割り箸は、極めて僅かしか使われていない。
(2)私個人は、「現社会では、割り箸の浪費は当たり前だとされている」と理解しているが、田中氏はそう思っていないらしい。統計的には、どんなところなのでしょうか。それが、前回の発言で、皆さまの感触を伺いたかった理由なのですが。

投稿: C先生 | 2007年5月31日 (木) 16時23分

年間日本で250億膳消費だそうで、ひとり200膳の消費。これはいくらなんでも多すぎる、もったいないです。
一人年間10膳くらいなら許されるかな。カビが生えるまで、家で水洗いしてまた使えば、なおいいでしょうね。

マイ箸は、お気に入りの2000円の大ぶりの津軽塗がお勧めです。水洗いで10年使えます。マイ箸用に最近発売されたようなコンパクトで細いものは、毎食の満足感が低いような気がします。自分の気に入った箸を買うというのが肝です。

投稿: | 2007年5月31日 (木) 16時55分

>文化であるが、中国産の割り箸のどこに文化を感じるのだろうか。
www。だあかかぁらぁ・・・先生!

たとえば大豆。
豆腐は日本の伝統食品と考えられていますが
大豆の自給率の数値を持ち出し、「どこに文化を感じるだろうか」と
言うのが、果たして適当なんでしょうか?

別に先生だって、好き嫌いはある。
それを認めるのは恥ずかしいことはじゃない、と思いますけど。

なんか底が割れたって感じで残念です。

投稿: SC | 2007年5月31日 (木) 21時57分

割り箸だとかレジ袋を減らせだとか、どうして弱小企業などにしわ寄せばかりが集まるような、弱いものいじめの政策になってしまうのでしょうか。本気で環境のことを考えるのなら日本はアメリカ型の重厚長大な自動車産業などに依存するのではなく、EU諸国のように公共輸送機関が充実した環境調和型の社会を築くべきだと思います。

トヨタなどもレアメタルなどの資源イーターであるハイブリッドなどの開発ではなく、地方の廃れてしまった公共機関を建て直し、お年寄りにも住みよい街づくりを提案してほしいと思います。大量消費社会に依存する限り、持続可能な社会の発展はありえないと思います。

国連のコンパクト・シティ・プログラムとかどこまで本気なのだろうかと疑問に思うこともある。日本は自動車会社も道路族議員もまだまだ健在だし、むしろビッグスリーの凋落したアメリカの方が新しい産業構造の展開に柔軟に対応できる可能性すらあるのではないだろうか。

原発などのエネルギーにしても、大鑑巨砲主義に代わる発想が持続可能社会においては求められている気がする。日本の場合は地熱などにもっと予算をかければ、地方の電力くらいはまかなえるのではないだろうか。日本の場合、一度回りだした歯車はたとえ間違いが見つかっても修正できない癖があるから要注意だと思う。

投稿: TheorySurgery | 2007年5月31日 (木) 23時30分

>豆腐は日本の伝統食品と考えられていますが
大豆の自給率の数値を持ち出し、「どこに文化を感じるだろうか」と
言うのが、果たして適当なんでしょうか?

それを言うなら「豆腐は日本の伝統食品と考えられてい」るのだから、自給率を上げるべきではないのか?が、論(問い)の立て方として(それこそ)適当でしょ。要するにこれは、例示としては今回の話題と無関係です。テキトーすぎるのもほどほどに。

割り箸がどうもったいないかは、すぐそこに箸が置いてある状況だけを見るのではなく、それを作るのにも運ぶのにもコスト(経済的にもエネルギー的にも)がかかっていることを忘れちゃいけない。っていうのが当ホームページの主張というか問題意識だと、私は理解しているので、その点(つまり生産と流通ですな)からの意見なり反論でないと、的をはずしやすいのじゃ・・・。

割り箸は、上記コストを無視してまで、無料にする必要はあるのかどうか。そんな意識のままで果たしていいのか?
個人の意見としては、対価払いましょうよ。という気分です。

(ちなみに本も売れなければ生産と流通の(エネルギー的・経済的)コストが無駄だったとなりますが、その場合、以降の出版計画に影響を及ぼすだろうと思われます(おそらく・・・)。この“影響”がある(意識される)という点が「割り箸」と較べて、大事な点やもしれません。)


投稿: 原口 | 2007年6月 1日 (金) 00時59分

コンビニの割箸有料化の意見がありましたが、この問題は無料の「おまけ」を有り難がる日本人の国民性に根差していると思います。

銀行に預金したときの景品や株主優待制度も同様、考えてみればどこかに上乗せされているので、厳密には無料ではないのですが、商品本体の値段(金利、配当)で勝負するより低いコストで客が集まるので、企業もそちらに走るのではないでしょうか。
実際には無料サービスは無駄になることも多く、「もったいない」を言うならばそこのメンタリティから変えていく必要があると思います。
逆に、家庭でわざわざ金を出して購入している割り箸は、その利便性を買っているので、あんまり目くじら立てることも無いでしょう。

投稿: 安野 | 2007年6月 1日 (金) 11時17分

私はこの本の論調が環境問題を考えている人にとって「不愉快」というのがよくわかる気がします。
「割り箸」についてだけ、特に取り上げて考えてみると、そりゃあいろんな意義やら立場があるのはわからなくもありません。無駄だとして切り捨てられない、という視点を探してくることは可能でしょう。しかし、「割り箸を止めよう」というのは環境保護という流れというか文脈のなかでは、一般的な消費者・市民にとって「意識を変え、ムダを無くすことによって環境保護につなげる」というわかりやすい象徴的な行動です。「象徴」なので、別にこれが例えばティシュペーパーをやめよう、であっても爪楊枝をやめよう、であってもまあ構わないのですが、私なんかにとっても割り箸がむだというのは実に実感をもって感じられます。(そして重要なことに、割り箸はもはやほとんど間伐材で作られてるわけでもなく、量的には大したことないのかもしれないにしても実際にはっきりと無駄なんだと思います。)だから、市民レベルでの環境保護意識を高める、という流れの上においては「割り箸OK」という選択肢はないとおもうのです。

何人かの方が言われる「割り箸がムダかどうかを冷静に考える」という話は、市民レベルでの環境保護意識を高める、というのとは全く次元の違う話だと感じます。「割り箸」だけとりあげてその周辺を(特にジャーナリスト的に)よく見れば、「やめなくてもいい」という視点を持ち出すことは可能ですが、こういう視点が広がって「割り箸は使い続けていいんだ」という風潮が広まることは環境保護運動を広げるという流れを作ろうとする側にとっては計り知れないマイナスです。こういう本が「不愉快」なのは、意図的なのかどうかはわかりませんが、こうした異次元の問題を混同することによって、市民の環境保護意識を後退させる危険を秘めているからだと感じます。

投稿: しげみ | 2007年6月 1日 (金) 11時40分

>割り箸が大きな利便性を持っているとも、文化であるとも思えないこと。利便性よりも、採算性が優先されているだけではないか。

文化だとは思いませんが、上でも書いたように利便性をもたらす用途はけして少なくは無いでしょう。

この辺は各個人のライフスタイル次第で違ってくると思います。
食事はほとんど自宅やレストラン、決まった職場というような方なら割り箸依存度は少ないですが、屋外や派遣先でコンビニ弁当を食べるような生活だと、割り箸依存度は高いでしょう。

そういった部分を無視して、魔女狩りのように「割り箸=悪」と言うような決め付けに陥るのは危険だと思います。
そして、昨今のマスコミ論調などを見る限り、ダイオキシンの時ような魔女狩り一歩手前に思えます。
そういう意味で、こういったマスコミ論調にちょっとブレーキを掛けたくなる気持ちは充分理解できます。

それから、採算性を無視するのもどうかと思いますよ。
料亭と立ち食いそば屋では割り箸依存度は大きく異なるでしょう。
そういった違いも上と同様に考慮すべきだと思います。

投稿: B-51 | 2007年6月 1日 (金) 11時58分

>「割り箸がムダかどうかを冷静に考える」という話は、市民レベルでの環境保護意識を高める、というのとは全く次元の違う話だと感じます

私には、むしろ「割り箸は悪」という一元的な思考停止に走るほうがマイナスだと思いますよ。
ダイオキシンとか水道水問題と同様に、イメージだけが先行してしまい、魔女狩りのような状況に陥りやすいと思います。

むしろ、「割り箸半減」程度に留めて、「自分のライフスタイルが環境に与えるインパクトをよく考えて見直そう」というような能動的対策を求めるような運動が本当の意味での「市民レベルでの環境保護意識を高める」ということだと思います。

投稿: B-51 | 2007年6月 1日 (金) 12時08分

>私には、むしろ「割り箸は悪」という一元的な思考停止に走るほうがマイナスだと思いますよ
B-51さん、
そこでC先生の意見では、

>割り箸運動というものが目的化し、市民運動のポテンシャルを活かしきれないといった例があるかどうか。マイ箸をやっている人々は、市民運動というよりも個人のライフスタイルとしてやっているように思います。一部には、例えば、石けん運動のように運動が目的化している環境活動があるのも事実ですが、割り箸を止めようということに関しては、まだ運動にもなっていないという認識です。

割り箸は悪、と言いつづけることの害、とかいうのを考える段階にはまだ遠い、のではないか、ということですよね?

>レジ袋の場合も、無駄とは何か、ということを議論することに意味があるのだ。省エネなども全く同じ。無駄とは何か、それを議論し、小さなものでもそれを削減する。そんなことを続けていれば、そのうち、大きな削減策が出てくるものなのだ。

それから、もう一つは、
>ダイオキシンとか水道水問題と同様に、イメージだけが先行してしまい、魔女狩りのような状況に陥りやすいと思います。

ダイオキシンとか水道水問題、というのは実体がほとんどないものだったのに対し、前のコメントにも書いたように、割り箸というのは実際にもムダだ、ということです。これは非常に重要なことだとおもいます。

投稿: しげみ | 2007年6月 1日 (金) 12時43分

>割り箸は悪、と言いつづけることの害、とかいうのを考える段階にはまだ遠い、のではないか、ということですよね?

それは理解しているつもりです。
実際まだまだ割り箸排斥の動きは現実社会のレベルとしては0に近いと思います。
そのような状況だから、多少過激な発言をしておく位でちょうど良いということになるのでしょうが、その点を私は危惧しています。

ダイオキシン/水道水問題は未だに信じ込んでいる人も大勢居ます。
#むしろそっちの方が人口としては多いのではないでしょうかね
本質的な問題があるかないかと言う違いこそあれ、一度走り出してしまうと自然と加速してしまうという傾向は同じではないでしょうか。

同じように、割り箸問題・レジ袋問題も、「まずは大げさに発言して運動規模に持っていくことが大事」というようなスタンスだと、最終低には魔女狩りになるのではないかと言うことです。
そうなってからブレーキを掛けようと思っても、もう遅いのです。

ちなみに、私は別に田中氏に全面賛成と言うわけでは有りません。
ただ、現在の「マスコミ論調」などを見ている限りにおいては、市民を思考停止に陥らせてとりあえず「割り箸・レジ袋=悪」という刷り込みをしようとしているように思えるので、こういった本が出ることにそれほど問題は感じないというだけのことです。
賛否両方の意見をきちんと取り入れて、自分なりに判断するというのが正しい道筋でしょう。

投稿: B-51 | 2007年6月 1日 (金) 14時07分

こんな記事がありました。
確かに竹の成長は早く、また、管理(伐採)をきちんとしないと竹林は維持できないと聞きました。 それでもやっぱり「もったいない?」

http://www.eic.or.jp/library/pickup/pu070531.html

投稿: 環蛙” | 2007年6月 1日 (金) 15時58分

>そうなってからブレーキを掛けようと思っても、もう遅いのです。

私の感覚では、これは違うと思います。どこまでいっても別にブレーキなんかかける必要はない。国産の間伐材や竹などで作った使い勝手のよい割り箸は少数残るにしても、100円ショップとかで何十組セットで安く売られていたり、弁当にくっついてたりする割り箸の大半は、駆逐されてしまっても別に困らないとおもうわけです。別に、守るべき日本の文化でもないし、ただ洗わなくてよくて安く利用できるから使っているだけではないか、ということですね。レジ袋も同じだと思います。だからこそ「無駄遣いの象徴」としてふさわしいとおもうわけです。

投稿: しげみ | 2007年6月 1日 (金) 17時01分

>私の感覚では、これは違うと思います。どこまでいっても別にブレーキなんかかける必要はない。

私としては皆がこういう考え方になるのが怖いと思っています。

おそらく、皆がそういった考え方の世の中で割り箸でも使おうものなら「あいつは環境の敵だ」みたいな目で見られるでしょう。
行き過ぎたコストダウンさえなければ、割り箸は環境負荷の低い方法で充分作れるわけで、そういったものを必要な場面で使うことは悪いことではないでしょう。
むしろ、本当に間伐材なんかを使うのなら資源の有効利用でもあるわけです。

ですから、タダで付いてきて当然と言った考え方を改めて、きちんと対価を払って「購入する」風潮にさえなれば問題は無いと思うわけです。

現代に至っては、生きていくうえで不可欠なものなんてすごく限られています。
テレビだって自家用車だって、多くの場合無くても生活は成り立ちます。
でも、利便性なんかと天秤に掛けたうえで、環境負荷を軽減しながら使っていこうというのが全うな考え方でしょう。

もちろん、「他にも無駄はあるんだから割り箸だって良いじゃないか」と言っているわけでは有りません。
割り箸だってレジ袋だって、自家用車なんかと同じようにきちんとした議論をすべきだということであり、思考停止して「無駄だ」と決め付けるな、そのように誘導するなと言うことです。

割り箸もレジ袋も、環境負荷と利便性のトレードオフとして考えるべきでしょう。
負荷に応じた対価を支払うようにさえなっているなら、あとは各個人が自分のライフスタイルに合わせて使うか使わないかを選べば良いではないですか。

以上、そろそろ堂々巡りになってきている感があるので、私の意見はこれくらいにしておきます。

投稿: B-51 | 2007年6月 1日 (金) 18時08分

議論が田中本から離れてきている感がありますが、利便性について一言。利便性があるから割り箸には意味があるという主張は、安い中国産だから利便性もあるので、高い国産材だと利便性をコストが上回るでしょう。「利便性がある」、「国産材なら環境破壊にならない」という主張を並列するのは、「反××本」にありがちな××への反論になるものなら互いに矛盾していても書いてしまう一例と思います。
根本には日本の林業がもはや産業としては成り立たないという問題があるわけで、それを高い割り箸を使うことで何とかしようというのは経済活動として不純。国土保全が必要なら公共事業として行い、その過程で出る間伐材を調査捕鯨の鯨(最近結構安く手に入る)と同じように市場に放出するべきでしょう。

投稿: 安野 | 2007年6月 2日 (土) 08時29分

>日本の林業がもはや産業としては成り立たない
ではなくて、日本の割り箸製造業がもはや産業として成り立たないのでは?

日本産の木材価格はもはや世界最安の部類らしいですし、造林、育林事業などの補助金制度もまだまだ健在なので、安価な間伐材はどこにでもあふれてはいます。
日本での割り箸製造は「製材過程の端材」が使われることが多く、北海道には製材業者の集積を活用した割り箸製造業者が集積して、一大団地を形成していたそうです。

が、大衆向け製品は件の100円ショップ劇安割り箸やコンビニ弁当割り箸にとってかわられました。これらの製品は中国などで「安価な丸太材」から作られることが多く製造コストが安いのが特徴で、国内メーカーは淘汰されていきました。結果、割り箸製造業のみならず、端材処理がうまくいかなくなったことで、結果的に森林資源全体の製品化コストが上昇したことはいうまでもありません。

割り箸を使うこと自体は、たとえば料理店でうどんのような塗り箸では食べにくいものが出されるときには代替手段は少なそうですし(滑りにくい塗り箸もありますが、あれはあれで使いにくい)、ごみ処理の段階ではレジ袋と同様熱回収できますから、結果的には効率は低いもののサーマルリサイクルされます。(のあたりでプラスチックを燃やすなんて言語道断!というやからはこのブログをみていないでしょうが・・・)

私は、このような端材の処理の仕方、これこそがエコ・プレミアムだと思うのですが、このあたりにうまく公的な助成がいきわたる、もしくはもうすでに中国では実施済みですが、森林環境保護の観点からの輸出国からの輸出制限、もしくは割り箸の消費に経済的手法による刺激策(割り箸税など)をおこない森林資源の有効活用に利用する、このあたりが良いのではと思いますが、いかがでしょうか。

投稿: 渡邉 | 2007年6月 2日 (土) 09時40分

割り箸が環境問題として取り上げられたのは
15年以上前だったと思います。
私の勤務していた工場でも、食堂の割り箸を使用せず
漆の箸箱持参の人がいて尊敬されていました。

今の割り箸事情は、15年前とは様変わりのようです。
大量に「真っ白の漂白割り箸」が中国から輸入されているのです。

私はやったことはありませんが、「新品の割り箸を金魚蜂に入れてご覧
たちまち金魚が浮いてくるよ」という話を聞きました。(風評ですかね?)割箸には二酸化硫黄などの漂白剤(食品添加物であるワインや干瓢にも使用されている)・防カビ剤・防腐剤が多く残留しているものがあり、人体への影響も懸念されるため、厚生労働省が監視している。
との記事もあります。

いづれにしても、真っ白の割り箸を口に入れるのは危険です。
やむを得ず食べる立ち食いそばは、箸をつゆにつけずにサーツと食べる。(そばの通はそうしますから安心ですが)
割り箸でおでん等の煮物をつついてはいけません。長い竹の使い古した箸を使用すべきです。

日本向けは、真っ白に漂白しないと売れないから中国も漂白するのでしょう。そして、漂白剤を洗浄すると価格が上がるから漂白剤を洗浄しないのだと思います。どうせ日本人にはわからないと思っているのでしょう。

私が使用する割り箸は、ピンと割ると「木の香り」がする日本製の高級品で、以後はそれを洗って何度も使用していますが、そのうち「木の香り」も人工香料使用の中国製に変わるかもしれませんね。

いづれにしても、環境ホルモンやダイオキシンに厳しい環境団体が
「中国製割り箸NO!」運動を始めないのは摩訶不思議です。

割り箸は環境以前の安全の問題だと思います。 〆


投稿: アマデウス | 2007年6月 3日 (日) 17時12分

>安い中国産だから利便性もあるので、高い国産材だと利便性をコストが上回るでしょう

そういえば具体策を何も書きませんでしたね。
ということで、ちょっとだけ補足を。

まず、割り箸税を儲け、間伐材や端材を使った環境負荷の低い割り箸と、それ以外の割り箸で税額に大きく差をつけます。
例えば、低負荷割り箸は1膳1円、通常のものは1膳9円程度とかね。
これならば、ただで配ることは出来ず、どちらも1膳10円くらいで小売することになるでしょう。
で、その税収で審査業務を行う機関を養いつつ、林業の補助にまわすなどすれば一石二鳥だと思います。

消費者的にも、1膳10円なら割り箸が便利な環境なら買うし、そうでないなら買わないということになり、消費量事態もかなり落ちるでしょう。
外食産業的にも、洗浄コストと天秤に掛けることになりますから、簡単に廃止できる業態なら廃止、そうでないなら1食10円の値上げで対処可能で、その程度は消費者も許容するでしょう。

まあ、問題があるとすると、税金とって審査機関を運用する=利権団体が出来てしまうというくらいですかね。

以上、これで本当に打ち止めにします。

投稿: B-51 | 2007年6月 4日 (月) 12時07分

>「やめなくてもいい」という視点を持ち出すことは可能ですが、こういう視点が広がって「割り箸は使い続けていいんだ」という風潮が広まることは環境保護運動を広げるという流れを作ろうとする側にとっては計り知れないマイナスです。

おっとでました、環境原理主義。
異論は封殺ですか・・・。


多面的な要素があるという事実を無視し、
自分に都合の良いことだけを主張するってのは、いかがなものかと。


ああ、おそろしや。

投稿: SC | 2007年6月 9日 (土) 20時03分

本文からコメントまで、せっせと読みました。

そして、感じた結論。センセイ(と、そのお仲間たち)、白旗上げた方がよろしいかと(笑)。どんどん論点ずらして、墓穴掘っているようにしか感じませんでした。

あげくに「金魚鉢に割り箸を漬けると…」という都市伝説を持ち出し、最後の砦は「環境保護運動を広げるのにマイナス」とは、底が割れたも同然です。

私は、これまでこのブログに期待していたし、ダイオキシンやマイナスイオンを初めとする記述なども信じていたのですが、なんだかなあ。

投稿: ジーゴ | 2007年6月11日 (月) 00時17分

みんな一緒くたにしてしまうのも、ちょっと大雑把かと。

確かに、これまでのダイオキシンやマイナスイオンの話と明らかに
論調が違うので、何か違うのかははっきりさせておく必要は感じます。
(その点を5/21にフォロー気味にコメントしたわけです)

無駄な割り箸を削減するコストは効果と比べてどうなのか、という話が
出てこない点が、ここで反発を受けている理由だと思います。

一方、別のところでも同様の事を書きましたが、割り箸より大きな問題があるなら何なのか、という話が全然出て来ないことが議論の停滞の原因だと思います。それは個人レベルではどうしようもないことかも知れないし、それなら手っ取り早くできることとして割り箸の削減は重要、という結論になる可能性もあるでしょう。割り箸削減なんてやる必要なし、という印象を読者が受けるなら件の本は問題ありだと思います。「本当に大きな問題」は件の本にもちゃんと書いてあるのでしょうし、読んでない自分がコメントすることではないのでしょうが。

とりあえず、割り箸以外でできることとしては、出所のわからない安い木製品は買わないとかでしょうか。

投稿: ととちお | 2007年6月11日 (月) 02時17分

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