5月27日: 安倍首相の大胆な講演 HP更新しました。
先週金曜日の夜、温暖化防止策に対する安倍首相の大胆な提案があった。2050年には、「全世界からの温室効果ガスの排出量を半減」。目前の京都議定書の目標、マイナス6%も実現できないのに何を言うのだ、という非難が起きることも勘定に入れた発言だったのだろう。カナダが目標の達成は不可能と簡単に諦めた発表をした後だけに、真面目に取り組むことを示したかったのだろう。
その同じ日に、レスター・ブラウン氏と共演の講演会(三井物産主催)をやっていた。安倍さんがそのうち大胆な発言をするだろう、ということは述べたものの、本当に驚いた。
疑問は数多いが、まだ状況は分からないので、今回の記事では触れていない。例えば、経済産業省がどのような見解を持っているのか。当然、事前に情報のリークは有ったはずだが、そのとき経団連は一体どのような反応をしたのか、また、これからどうするのか。
ところで、最後のディスカッションのセッションで、レスター・ブラウン氏の様々な意見を聞くことができたが、もっとも驚いたことは、ブラウン氏が、遺伝子組換えに反対していないことだった。今回の話題とは全く無関係だが。
今週末は、我が家にたまたま孫が来ていて、娘が所用を果たすために外出すると、面倒を見るのが大変で、仕事がさっぱり進まなかった。
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コメント
実家の近所の「植樹祭」に家族で参加して、苗木を一人20本くらい植えてきました。1000人くらいが集まり、1万本の木を植えました。木が成長すれば、CO2の吸収量は、年間300kg以上。20本で、年間約6トンのCO2を吸収してくれます。3年後からは森になって、木陰が涼しいし、なんだかいいことをしたといういい気分でした。
排出量以上のCO2を吸収するように、個人個人で空き地に小さな森を作るというのはどうでしょうか。排出削減だけでなく、吸収も増やしてみてはどうでしょうか。
投稿: 健 | 2007年5月29日 (火) 12時07分
>植物のCO2吸収
もちろん植樹は環境にもいいことだと思いますし
道義的にもいいとは思います。
(固有生態系における種は考えた上で)
木はCO2の吸収とO2の呼吸と両方を行っています。
成長している間はCO2の吸収が勝ってO2を吐き出したあと
Cを自分の体として固定しますが成熟してしまうとその収支が
等しくなって吸収量は止まってしまいます。
植物のCO2吸収を生かすのでしたら、生育の早い木を育てて
成熟したら伐採し(腐らないように:腐ると酸化してCO2化するので)
地下に貯蔵という事も考えた事がありましたが。
そんな空間設定や運搬にかかるCO2排出を考えると現実的ではないですね。
投稿: フミ | 2007年5月30日 (水) 01時20分
調べてみると樹木のCO2吸収量が意外に大きいので、ここで紹介してみました。木を15本くらい植えれば、何十年か、十分1世帯分の排出量を賄えるようです。
例えば子供が生まれたら、杉を植林しておいて、50年後にその木材で家を建てる(田舎ではよくあるそうです)とか、オークやウォールナット、チェリーを植えておいて、木と人が成長したらお気に入りのデザインで家具を作る、家のフローリングにするなんてどうでしょうか。
落ちた枝を拾って時々木を切って、ストーブの薪として保存する、家の南側に落葉樹の小さな森を作り、夏は木陰を作り涼しい、など、CO2排出ゼロ生活、CO2排出ゼロ住宅、個人でできるカーボンオフセット、なども可能ではないかなと思った次第です。芝生を植えては、吸収しないが、森にすれば吸収してくれる。飛行機に乗りCO2を排出する代わりに、田舎の土地に木を植え吸収させる、なんていう考え方もできるのでは。
投稿: 健 | 2007年5月30日 (水) 09時28分
言葉のあやだとは思いますが・・・
街中に「森」を作るのは反対です。
犯罪増加の温床とされているから、自然環境がよくなって生活環境が悪くなるのはいかんともしがたいものです。
緑が増えるのはうれしいことですが、せめて整備された「林」までかな街中では。
投稿: z | 2007年5月30日 (水) 12時17分
都市部ではそもそも木を植えるスペースが無いでしょうね。
ビルなどの屋上緑化はヒートアイランド防止にもなって良いかもしれませんが、金が掛かりますからね…
材木として使えるほどの木を育てられる庭がある家も少数でしょうし。
田舎に植えるとしても、現状草原とか更地になっているところなんてほとんど無いし。
植えるところがあったとしても、植えっぱなしではダメで、ある程度の手入れが必要になってきます。
そういった手間を掛ける人件費が出ないから、国内の林業が衰退している訳で、そういった点を考えずに「木を植えよう」と言っても何の解決にもならないと思いますよ。
まあ、都会のサラリーマン(とその家族)がゴルフや海外旅行に行く代わりに、田舎の林業体験ツアーに行くようになればってのはあるかもしれませんし、「自分とともに育った木」と言うものへの経済的付加価値が認められるようにってのもありでしょうね。
そのような方向に世論を導きたいという考えなら賛成です。
投稿: B-51 | 2007年5月30日 (水) 14時59分
いやいや実際に、それぞれの家庭で、家の周りの敷地の隙間に、コンクリートや芝生はやめて、3平米に10本くらい苗木を植えたら、大気中の1世帯で排出した分のCO2量が吸収されるんじゃないかと思った次第です。ビルとビルの隙間に木を植えて、木陰ができます。
春は新緑、夏は木陰、秋は紅葉を楽しみ、しかもCO2吸収という社会貢献になる。これも土地の有効利用になるわけです。イノベーションも必要なし。1万円で今すぐできるカーボンオフセットです。
投稿: 健 | 2007年5月30日 (水) 15時23分
>それぞれの家庭で、家の周りの敷地の隙間に、コンクリートや芝生はやめて、3平米に10本くらい苗木を植えたら、大気中の1世帯で排出した分のCO2量が吸収されるんじゃないか・・・
どのような木を想定されているのでしょうか?
さつき? どうだんつつじ? 生け垣?
いずれにせよ低木を密集させるわけですから、吸収量は一般的な数値には遠く及ばないと思いますよ。
中、大木であれば、淘汰されて1本が残るかどうかですね。
投稿: 環蛙” | 2007年5月30日 (水) 16時01分
私もただ植樹祭に、飛び込みで参加しただけなので全然詳しくないのですが、、、
低木高木いろいろ混ぜて取り揃えて、30cm間隔で苗木を植えました。白樫、山桜、カエデなんていうのもありました。樹種は多様であるほうが良いようです。
あとは放っておいても、その中から淘汰されて、3年後には小さな森になっているようです(3年前に植樹したところは、森になっていました)。とにかく従来の造園業とは全く違うようで、メンテナンスは必要ないようです。横浜国立大学の先生(植林で日本全国を飛び回って有名らしい)が指導していたと思います。愛知万博でも植林したようです。JICAも支援していました。
投稿: 健 | 2007年5月30日 (水) 16時25分
>あとは放っておいても、その中から淘汰されて、3年後には小さな森になっているようです(3年前に植樹したところは、森になっていました)。
>それぞれの家庭で、家の周りの敷地の隙間に、コンクリートや芝生はやめて、3平米に10本くらい苗木を植えたら
この2つは両立できませんね?
1坪の森はあり得ませんし、家の近くに大きな落葉樹があると、屋根の傷みが早いので敬遠されます。
町中で落ち葉が散乱すると、その処理にも困りますし・・・
B-51さんのご意見が妥当かと・・・
投稿: 環蛙” | 2007年5月30日 (水) 17時26分
都市部では、一戸建てに住むなんぞ、大変な贅沢。ましてや、木を植える庭があるなんて…
ビルの容積率(景気対策で一部緩和された)を厳しくしてもらいたいと思います。緑地のためのスペースが増える、風通しがよくなってヒートアイランド現象が弱まる。
それより、首都一極集中を招く政策を考え直すべきなのだろうが。
投稿: やながわ | 2007年5月31日 (木) 08時27分
前々から検討されていた技術ではありますが
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_29X351KIJ&csvname=685614285
これってどうなの?
効率はよくなるという暫定結果ですが。
全国どんな地域でも?
効率以外の面(循環水の環境への漏出など)はどうなんでしょう?
投稿: z | 2007年5月31日 (木) 08時49分
そういう考えが、今のヒートアイランド現象を引き起こしているのですから、古い考えということができるでしょう。樹木を植えるのも、立派な土地の有効利用です。
安倍首相も屋上に太陽光発電、緑化を推進するようですから、ここブログのコメント欄にいる環境学に詳しい方の考えが、一番保守的かもしれませんね。コンクリートやアスファルトで覆われたビルが「醜い」という価値観の変更が必要です。
植樹祭について調べてみると、宮脇昭先生という結構すごい人らしいです。私も将来自分の家の庭には、この方の指導をお願いしようと思っています。
景気がいいんですから、あれダメこれだめでなくて、どんどん新しいことを提案して、実行試行されるとよいと思いますよ。
一坪の森は、たとえば18年前に建てたうちの実家も隣の家もそうですから、ありえませんなどと切り捨てるのはどうかと思います。ご自身が知らないだけでは。自分が試してみればわかると思います。
首都一極集中を見直すなどと大上段に構えなくても、建物の周りに1世帯10本木を植えようというほうが、簡単では。
皆さん政策論争はお好きだが、もっと簡単にできることがあるのでは。予算がないとできませんか?ポケットマネー1万円でできることがあります。
投稿: 健 | 2007年5月31日 (木) 08時53分
基本は、「できる人がやりたいことをやる」でいいでしょう。みんなが植樹をする必要はないし、植樹を進める人の足を引っ張ることもありません。確かに木は植えておしまいというようなものではないし、いろいろ問題も出てきます。そういうことは周囲が言うようなことでなく、やりながら自分で身につけていくものです。そうやって身につけた知識が一番強いものです(現に、皆さんの「正論」は健さんに届いていないでしょう?)。
一方、学者タイプの人間は、実際に活動している人に対して何となく後ろめたい気持ちを持ってしまうので、ついマイナス面を挙げて「自分がそれをやらない理由」を探してしまう傾向があるように思います。そんな気持ちを持つ必要は全くなくて、他の人が植樹や徒歩通勤やリサイクル運動している間に、自分は世界でCO2を10億トン削減する研究の百万分の一だけ進めたから千トン削減したんだ、もっと言えば、自分が仕事をすることは経済を活性化して環境にお金が回るための第一歩だ、と自分で信じ込んでやるんです。
実際に研究で千トン効果が出ているかといえば怪しいものですが、すぐ枯れちゃうような木を植えたり、ほんのちょっとのリサイクルに車で町中かけずりまわっているような人も中にはいるでしょうから、おあいこということで。
我が家は(ほぼ)オール国産材、集成材フリーです。これも日本の林業を支援して、森林の炭素吸収機能を復活させるのに貢献しています。お金はかかりましたが、住み心地とエコロジカルライフの満足度で十二分に回収できました。
自転車通勤でも投資でもいい。できることをやればいいんです。
投稿: ととちお | 2007年5月31日 (木) 09時58分
ちなみに先のURLにあるニュース
同じものかどうかは分かりませんが、クーラントタワーが泡をふく蟹よろしく、発泡しているものをみたことがあります。
一時流行って、個人がクーラントタワーに勝手に洗剤を入れていた例も見たことがあり、これなのかもしれませんが・・・泡が風に乗って飛んで良くわ、近くの壁を綺麗にしている(言い方を変えると汚染している)わ、緑に覆いかぶさっているわという状態でした。
その後、どの程度の改良や改善が施されているのかご存知のかた、ご教授頂ければ幸いです。
試行錯誤は大事ですし、何事でも必ず反対意見はあるものだから、どこかでえいやっという飛躍は必要ですが、何も検証なしに飛ぶのは危険だという例でしょうか。
流行った時期に上記をみて一気に全国化(工業的にも、トレンド的にも)しなくてよかったなあとか思ったりもしていました。
草の根運動と、全国一斉分けて話さないと話は滅茶苦茶になるでしょうね。
投稿: z | 2007年5月31日 (木) 10時15分
フミさんが上のほうで述べておられるように、樹木の炭素固定効果(CO2削減効果)は成長段階でしか発揮されません。
落葉樹なら落ち葉の分は毎年固定するでしょうが、効果はたかが知れてますし、燃やしたり腐らせたりしたら再放出されますね。
植樹でCO2削減を行うなら、育った木を燃やさずに長期間保つ必要があります。(もしくは育った木を燃料に使ってその分化石燃料の使用量を減らす)
家庭の庭先程度の植樹でこれができますかね?
現在の日本の人口密度ではほぼ無理でしょう。
それくらいならば、各家庭の屋根にソーラー(発電/給湯)を設置する方がよほど効果的だと思います。
結局のところ、地球全体で見た場合のCO2の量を減らすには「大気中の炭素を固定する」か「既に固定されている炭素(≒化石燃料)を燃やさない」かしかありません。
温暖化防止という観点であるならば、そのどちらかに繋がる方策を考えるべきでしょう。
ちなみに、植樹そのものを否定するつもりは毛頭ありませんし、自分も猫の額ほどの庭に木を植えています。
ただ、こういったものをやるだけで「CO2削減に貢献している」と思い込んだり、やらない人を批判するのはどうかということです。
>基本は、「できる人がやりたいことをやる」でいいでしょう
議論をする意味としては、どういった行動が「効果的」なのかを模索することではないでしょうか。
もちろん、明確に数字で示せるようなものではないので、最終的な決断は各個人の判断によりますが、最初から議論を放棄して「好きなようにすれば良いじゃん」では、こういった場そのものを否定するようなものです。
投稿: b-51 | 2007年5月31日 (木) 12時09分
まず樹木のCO2換算の吸収量ですが、ちょっとネットで調べてみると、低木でも一日当たり500gから1.5kgになるようです。これは本当ですかね?
そうすると年間150kgから450kgになる。樹木10本なら1.5トンから4.5トンになる(本当かな)。これで少しエコを気にしている1世帯分の排出量を十分賄える。もちろんこれはCO2換算で、実際の木の成長質量は、CO2ではなくCHでしょうからもっと少なくなりますし、根の成長もすごいでしょうから、見た目はそれほどでもないのでしょうが。
森が平衡状態になるのに、100年はかかるでしょう。少なくとも5年10年だけじゃない、目標の2050年までは、CO2を吸収し続けますよ。十分成長したら、切って自然乾燥して薪ストーブで使えばいい。灯油を節約できる。そしてまた苗木を植える。排出ゼロです。
そして2050年ころには、何とか科学技術も進み、さらに省エネできている。
私も自信ありませんが、理論的に正しければ、苗木を家庭で職場で1家族合計10本植えれば、地球温暖化は止められる、となるのでは。1家族1万円日本中で6000億円で温暖化は解決。
炭素固定を植物にしてもらえば(人間にはできません)、何百万円もする、ハイブリッドカーや太陽光発電(せいぜい削減量年間1トン)が安くなるのを待ち、温暖化を政府や企業の責任にする(もちろんお金に余裕があれば導入するのですが)よりも、ずっと実効性があるような気がするのですが。
投稿: 健 | 2007年5月31日 (木) 13時29分
>一坪の森は、たとえば18年前に建てたうちの実家も隣の家もそうですから、ありえませんなどと切り捨てるのはどうかと思います。ご自身が知らないだけでは。自分が試してみればわかると思います。
誤解無きよう申し上げますが、「一坪」分の植樹を「森」と呼ぶのはどうか?との意味ですよ。 昆虫じゃあるまいし・・・
自宅には生け垣を設けていますし、当然何本も植樹していますが、成長を見越して必要な間隔をあけています。 木が気持ちよく育つことができるように。 個人的には果樹がお勧めですね。(収穫して食べれば、固定量が増えるかな?) そうです。田舎暮らしです。回りは山(だれも森とは呼びません)だらけです。
投稿: 環蛙” | 2007年5月31日 (木) 15時21分
炭素固定量がでたらめに多いようですので、ちょっと計算してみました。
60年たったスギの木(高さ25m、直径34㎝(1.2mの高さ))の丸太材積がちょうど1立方メートルくらいです。
スギの比重が0.38ですから380キログラム。(木は水分を含んで生木の重量は半分以上がただの水です)
このうち炭素の割合は0.44ですから167キログラム。
材積は丸太のものですから枝葉、根も加えて2倍としても300キログラムくらいです。60年の巨木で。
スギの木の成長が盛んな時期(炭素固定が多い時期)は20-40年くらいの時ですし、広葉樹よりスギの方が成長が早い(炭素固定が多い)のですが、それでこれくらいです。単純計算で年間5キロくらいですね。
炭素を固定するということは樹木の組織として固定された結果として重量になるわけです。ですから低木が年間150キログラムも炭素を固定できるなら年間の生の重量で300キログラム以上増えることになります。
そんなことはありえませんよね。
都市の緑は景観や日陰を作るという効果はありますが、そこに炭素固定を求めるほどの量は存在していないでしょう。
炭素固定を考えるなら日本の国土の3分の2もある森林を有効に使うしかないと思います。成熟した森林をどんどん切って木材利用&燃料化し、再度植林していく、それも省エネ低コストで。
投稿: Ryo | 2007年5月31日 (木) 17時05分
樹木の生長で作られる物質は多岐にわたりますし、高分子化合物が主になるのであまり単純には行きませんが、仮にブドウ糖と同様の元素比が作られるとするなら吸収したCO2と同程度の重量が増加するはずです。
セルロースにしても同じようなものだと思います。
実際には、水分がかなり含まれますから、その樹木の生長分の半分も吸収できていれば良い方ではないでしょうか。
>低木でも一日当たり500gから1.5kgになるようです。これは本当ですかね?
これは、おそらく単に「吸収量」を示しているのではないでしょうか。
植物も生物ですから、その活動でCO2を排出します。
ですから、実際に空気中から減るのは「吸収量 - 放出量」です。
その量は、上でも書いたようにかなり小さいと思いますよ。
>森が平衡状態になるのに、100年はかかるでしょう
家庭の庭先程度ではそれほど大木にはできませんよね。
例えば、桜や杉なんかの木なら20年も経てばかなりの大木になります。
庭先で育てるのなら、自由に成長させられるのは10~20年ってところではないでしょうか。
>十分成長したら、切って自然乾燥して薪ストーブで使えばいい
これも、家庭の庭先レベルでは消費量の方が明らかに過大になるでしょうね。
投稿: b-51 | 2007年5月31日 (木) 18時02分
ライフスタイルの見直しで1日1KgのCO2削減。
私の周りには実現した人が結構います。自転車通勤です。無論、その人達の本来の目的は別のところにあるわけですが。
車への依存度を減らすのは、めんどくさい考察抜きにダイレクトに効果が出ますね。
投稿: shin | 2007年5月31日 (木) 18時54分
>議論をする意味としては、どういった行動が「効果的」なのかを模索することではないでしょうか。
>もちろん、明確に数字で示せるようなものではないので、最終的な決断は各個人の判断によりますが、最初から議論を放棄して「好きなようにすれば良いじゃん」では、こういった場そのものを否定するようなものです。
これまでの議論ではそのような模索はほとんど見当たりませんでした。僕は「できる人がやりたいことをやればよい」と言いましたが、その上で各自が自分のやっていることを主張すればよいわけです。そこからが議論です。植林だってやらないよりはいいのは間違いないだろうし、皆さんは植林そのものより「みんなで植林しよう」という考えに反論しているのだと思いますから、植林よりいいと思うことを示すべきです。気候変動を食い止めるための議論ですよね?
さて、健さんはお金も手間もかけずにカーボンオフセットする手段として植林を提案されていますが、イベントですから当然誰かが手間をかけ、国か自治体か企業がお金を代わりに払っているのではないでしょうか。宮脇先生の手法については不勉強ですが、一般的には単独で植林しようとしたらそれなりの手間はかかるのではないでしょうか(ちょっとだけ調べましたが、多少は勉強して知識を持たなければ宮脇先生のマネは難しい、という印象です)。
そこらへんを踏まえれば、b-51さんも触れられていましたが屋根を発電パネルにするとか熱利用するとか車をハイブリッドにするとか(以上は我が家でやってます)の方が手間をかけずにできる。お金はかかりますが、手間とお金は働くことで交換可能ですから同じとみていいでしょう。それに、今後のエネルギー価格によってはこれらの買い物は収支がプラスになるかも知れませんよ。吸収量の方も、太陽光発電で毎年1トンずつ削減して20年稼動したら、同じ20年で400kg吸収する木だったとしても50本分です。僕はそういう主張ですがどっちがいいかはケースバイケースでしょうし、他の意見も出てきていいでしょう。
投稿: ととちお | 2007年6月 1日 (金) 00時00分
いろいろ調べてみますと、杉のCO2吸収量が、年間30kg-CO2くらい。
落葉樹で150kg-CO2(木の直径5cm)から500kg-CO2(直径20cm)なんていうデータもあるようです。落ち葉になって土にかえる量も含まれていますが。杉なんて植えるもんじゃないですね。従来の林業も手入れが必要な造園業もダメ、ということです。
宮脇先生の方法は、以前にNHKハイビジョンでやっていましたが、ドングリを拾ってきて、水に浸して、ポットに植える、そんな感じだと思います。密集させて植樹してからも、お手入れの要らない、「本物の森」というのが売りでした。苗木が風で倒れないんだそうです。魅力的です。もちろんお金に余裕があれば、太陽光発電でも何でも買ったらよいと思いますが、お金がなくても、レジ袋対策のようにタダとは言わないが、1万円レベルでできる温暖化対策もあるのでは、それも意外に効果的では、と思った次第です。
投稿: 健 | 2007年6月 1日 (金) 09時27分
オーダーが違いました。15kgCO2から50kgCO2みたいですね。
樹種にもよりますが、10本で150kgCO2から500kgCO2が正解のようです。
投稿: 健 | 2007年6月 1日 (金) 09時39分
はじめまして。
レスターブラウンさんとの共演にうかがったものです。
面白いお話ありがとうごいざました。
自分もレスターさんの遺伝子組み換えに関してのトーンは以外でした。
投稿: Re-turn | 2007年6月 1日 (金) 10時08分
>とちちおさん
誰かが「こういったことをやれば良いんじゃない?」と言い、それに対してああだこうだと意見を言い合うのも立派な議論だと思いますよ。
今回の場合のように、否定的な意見が多い場合もあるでしょうが、感情論に陥っていないならば、それでも充分に意味があると思います。
否定しきれない部分が有れば、それすなわち効果がある(みこめる)という部分でしょうし、そうでないなら別の方策を考えるとか、否定の中に対案が出てくるのならそれをまた検討しても良いでしょう。
いずれにしても、我々は政治家でもなんでもないわけで(C先生をはじめとしてある程度は政策に影響力をもっている方も一部居られるでしょうが)議論をする上での一番重要な点は、議論を通じて知識や見識を深めること、他人の意見を広く聞くことだと思います。
ですから、感情論や人格否定などといった状況にさえ陥らなければ、どんな内容であれ議論は価値があると思います。
>健さん
>オーダーが違いました。15kgCO2から50kgCO2みたいですね。
これくらいなら理解できます。
ただ、上でも書いたように落ち葉の分をそのまま吸収量としてカウントするのはどうかと思いますよ。
「土に帰る」と言うのは、大半の成分が分解されて無機物になることですので、無機物になる=炭素はすべて再放出しているということです。
炭素を長く固定するには、泥炭・石炭・石油のような「化石燃料」に変化してゆくような状況を作らないとダメなのです。
#熱帯林では実際にこのような変化が自然になされるのでしょうね
特に家庭の庭先では、落ち葉をそのまま放置することも不可能でしょうし、それを燃料にするのも現代の都市生活では不可能に近いです。
まあ、技術が進歩して「燃えるごみ」は燃料として有効に使用されるのなら良いのでしょうがね。
と言うわけで、結局のところは「広めの休閑地を森林に戻す」とか、Ryoさんも上で書いておられるような森林のサイクル利用によって化石燃料を減らすというのが、「森林によるCO2削減」の根幹になると思われます。
日本の場合、人口を減らすとか住居をすべて超高層化して都市面積を減らすとか言ったような対策を採らない限り、ほとんど「休閑地」が無いですから前者は難しいです。
アメリカのように、多くの家が広い庭を持っていてその面積の大半を芝生にしているような状況なら、各家庭で木を植えることでもある程度の効果はあるかもしれませんが、日本の住宅事情ではね…
>密集させて植樹してからも、お手入れの要らない、「本物の森」というのが売りでした
こういったものはまだまだ研究途上なのでしょう。
森は人が手を加えないと、余りCO2の吸収には役立たないという意見も多く聞きます。
その意見の方が正しいのなら、落葉樹を無秩序に植えてあとは自然に任せるという方法では効率が悪いということになるでしょう。
もちろん、単に「手を掛けずに森を増やす」という対策としてなら有効なのでしょうが、それがCO2吸収に有効なのかどうかは上で書いたとおりです。
投稿: B-51 | 2007年6月 1日 (金) 11時27分
早とちりのせいで「CO2排出ゼロ生活」が今にも実現できるかと思いましたが、まだまだでした。
それでもエコを志向すれば、家族4人で年間排出2トンくらいまでには今の技術でも減らせます。それから先は、「マイ森」を持つ、すると薪で暖房、落ち葉で調理や風呂、そして住宅建設なんていうのが、本当に手間のかかる贅沢なライフスタイルかもしれませんね。これで年間0.5トン削減できる。手放してしまった単なる昔の生活なのかもしれませんが。トトロの世界ですね。
何かまた思いついたら書き込みます。
投稿: 健 | 2007年6月 1日 (金) 12時18分
宮脇先生の手法は緑化の一つの方法ということで、
実際に30㎝間隔に木が生えた大きな森などはありません。
最終的には5m間隔程度でしょうか。20mの木が直径5mの枝張りを持って1haに400本生えているということです。30㎝間隔だと1haに11万本の苗木が必要となります。それだけを無駄にすることでもあります。
実際のできあがった森林では大きくて上層を覆う高木と
大きくはならない光が少ない場所でも育つ低木が組み合わさって生えています。
競争で上に上に伸びますが、光の必要量が多い落葉樹はほとんど枯れてしまい、弱い光でも成長できる常緑樹同士が競争することになります。
確かに間隔が狭いので草刈りなどの手間は省けますが、
苗木代や植える手間は考慮されていないわけです。
あくまでも短期間ですき間がない林を作るための緑化手法だとお考えください。苗木を作り運搬するためにもエネルギーは消費されているんですから。
従来の林業や緑化にもそれなりの必然性があって技術があるのだということはご理解ください。
健さんが言う贅沢なライフスタイルというのは 林業が中心だった山村では普通のことだったのですから。
投稿: Ryo | 2007年6月 1日 (金) 13時29分
>b-51さん
>感情論に陥っていないならば
話の展開が、なんか感情論に陥りそうだな、と思ったのです。
僕の立場は皆さんと同じ(初めは同様の反論を健さんにしようと思いました)ですが、もし健さんの立場だったら、「自分では何もしないくせに文句だけつける人たち」と決め付けて感情を害していたかもしれません。
同じ議論でも、先に進むような展開の仕方があるはずです。
今回の流れだと、皆さんの意図とは逆に、「じゃあ植樹してもしょうがない」「何もしない方がマシ」という受け取られ方をされて、話が後向きに行っているようにしか見えません。
植林のデメリットの方が大きいのだったらそれでいいのですが。
行動を起こす前に考えるというのも大事ですが、全員がそうである必要はありません。例え効果は小さくても、ゼロ以下でないのなら、「まず行動を起こす人」の足を引っ張る、せっかく起こした行動をやめさせてしまうような事は慎むべきです。
あくまで、ちょっとした言葉遣い、書き方の問題なのです。
健さんは皆さんの意見を冷静に受け止めて、御自分でいろいろ調べて、自説を修正されました。これはなかなかできないことです。
投稿: ととちお | 2007年6月 2日 (土) 00時00分
>皆さんの意見を冷静に受け止めて、御自分でいろいろ調べて、自説を修正されました。これはなかなかできないことです。
これのできる、エネルギーのある人は素晴らしい。
ところでエアコンの話はいかがでしょう?
タワーものだから、企業とかになる話でしょうけれど、お手軽な感じで興味が沸く話な上に、エコノエコロっぽいから企業も飛びつきそうですが。
投稿: z | 2007年6月 2日 (土) 01時15分
おっしゃる通り産業技術の話に思えますので、個人でできるカーボンオフセット、とはちょっと違いそうですね。「エコノ」ならみんな飛びつきそうですが、泡が大量に出ているタワーはそれなんでしょうか。
投稿: ととちお | 2007年6月 3日 (日) 22時27分
>それなんでしょうか。
わかりません、私が目撃したものは、個人がそういう情報をみてやったものかURLのニュースのように管理した実験だったのか、別途のトラブルのものなのか。
ただまあ、単純に海面活性代を入れればOKという形で広まれば、町中いたるところで泡が飛び出るタワーがふえて見た目の問題から一瞬で消え去ることになるのでしょうね。もしよい技術なら、もったいないのでかつて微妙に流行ったときに広まらなくて良かったなあとは思いますが。
実際はそして現状はどういった段階でどの程度つかえそうな研究なのでしょう?
投稿: z | 2007年6月 3日 (日) 22時44分
>同じ議論でも、先に進むような展開の仕方があるはずです。
確かにそれは重要ですね。
私も気をつけようと思います。
ただ、今回の場合、反論を行っている方々の意見の真意は
「CO2削減と言うのとは切り離して考えたほうが良い」
と言っているだけだと思います。
これはそれほど後ろ向きな意見だとは思いません。
実際、ヒートアイランド防止とか生態系の維持とかいった面では効果があるのでしょうし、美観的な問題からも緑はある程度有るほうが良いですからね。
だれも、植樹自体を否定してはいないと思いますよ。
私の意見はこんなところで打ち止めにしておきます。
投稿: B-51 | 2007年6月 4日 (月) 11時46分
暫く覗いていなかったのでカメレスですが・・・・
zさんの
>前々から検討されていた技術ではありますが
>http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_29X351KIJ&csvname=685614285
>これってどうなの?
に関しまして。
実はリンクを叩いても時間が経って切れちゃったのか読めないんですが、コメントの内容と時期から察するに、コレ(↓)のことでしょうか?
http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2007/pr20070528/pr20070528.html
コレのことでしたら、関係者ではないのですが、ワタシの同僚の仕事ですので、漏れ聞いてきた所に寄りますと、導入には(1)インバータの設置、(2)循環水流路が密閉系、(3)送水管材質がステンレス(さびていない)、(4)水質が良好(鉄、銅のイオン濃度が低い)、ことが必要だそうです。
基本的に密閉系用の技術ですので、開放形クーリングタワーには適用を考えていないようです。
で、念のため強調しておきますが、当該技術は、あくまで送水ポンプに対する省エネ技術であって、冷暖房そのものの効率向上技術ではないです。(もちろんシステムとしては含まれますが)
今回の実証試験はこの技術が暖房性能その他に悪影響を及ぼさないかの確認も含んでいたようです。
投稿: 温泉カワセミ | 2007年6月 5日 (火) 12時31分
リンク切れを起こしていますね、失礼しました。
なるほど、床暖房といったものの技術で昔口伝えかなにかで
流行ったものとは別途もののようですね。
配管割れによる汚染だけが少し気になりますが、報告を読む限りでは
良い技術のようですね。今後の発表が楽しみです。
ありがとうございます。
投稿: z | 2007年6月 5日 (火) 18時58分
江戸時代、日本の山は禿山がいっぱいでした。なぜか?
家を建てるには必要だし、エネルギー源としても必要だから。
江戸末期で3000万人程度だったはずです。
日本の森林率が急速に上がったのは戦後です。
簡単にいえば、今の日本は、歴史的にみて
非常に木の量が多い時代です。
しかし、今、日本の森が危機に瀕しているのは
手入れをすることができなくなっているからです。
林業の崩壊。
また、放っておいて、良い森林ができることはありません。
これは林業の本を少し読めばすぐわかる基礎的なことです。
原生林より、人工林のほうが、動植物の多様性が見られる、
という研究レポートもあったりします。
エネルギー効率からみれば、一極集中はプラスです。
ヒートアイランド現象は、熱処理の技術的課題です。
よって、皆が集合住宅に住み、郊外に人工林を作るのが
一番、効果的な方法かと思います。
ご参考まで
投稿: SC | 2007年6月 9日 (土) 19時55分