7月19日:東電の刈羽原発対応の稚拙
柏崎には、実は娘が住んでいる。家族全員、なんとか無事だった。刈羽の原発が近いのは、もともと多少気にはなっていたのだが。
多くのメディアは、東電の火災や放射能漏洩事故に対して、極めて攻撃的な報道を繰り返している。しかし、それが正当なアプローチなのだろうか。
今回のもっとも重要なキーワードは、「想定外」である。すなわち、「想定外」のことが起きて良いのか、これが第一のポイントであって、それ以外のことの重要性は、むしろほとんど皆無である。
むしろ、想定外の地震が起きたにも関わらず、原子炉とは無関係な変電器からの火災、多少の放射性物質の漏洩、低レベル廃棄物の転倒などが起きただけで済んだのは、恐らく、耐震基準を満たす以上の施工が行われていたわけで、建設が良心的に行われたいたという証明になる。むしろ、建設に従事した事業者に感謝したい気分である。
その後の東電の対応が稚拙であることでメディアを怒らせているようだが、メディアは、むしろ、もっと冷静に事態を見る必要がある。
すなわち、「想定外」の地震が今後、どのような順番で、他の原発を襲うのか。あるいは、「想定外」の津波が海岸線にある原発を襲うのか。さらに、「想定外」の外国からの破壊活動が、日本の特殊事情である海岸にある原発をいつどのように襲うのか。そのような可能性を検討しつつ、できるだけ多くの事態を「想定内」に収めていくことが必要不可欠なのである。
地震に関しては、刈羽原発付近には、しばらくはもう来ないだろうから、できるだけ早く安全性を確認して、速やかに再運転に入るべきである。そして、むしろ「想定外」の事態が起きたときに危険だと思われる原発を特定すると同時に一旦止めて、そして「想定外」を「想定内」にする対策を講じるべきである。
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コメント
原発内の地割れの映像を見ると、今回はたまたまラッキーな地震だったと言えるのではないでしょうか。
投稿: 健 | 2007年7月19日 (木) 16時02分
火災を起こした変圧器そのものは個別の原子炉建屋についている、原子炉内への電源供給のための機器だという報道がありましたが?
その変圧器が原発の安全性に関わりのない機器であるはずはないです。
投稿: SGW | 2007年7月19日 (木) 16時04分
「多くのメディアは、東電の火災や放射能漏洩事故に対して、極めて攻撃的な報道」をしているのでしょうか。
わたしには、莫大な東電の広告費に遠慮した及び腰報道から抜き出せずにいるように見えてなりません。
本件については、BBCやCNNの方が明らかに大きく警鐘報道をしています。
マスコミが利権に躊躇するとき、その背後には、必ず「情報の隠蔽・改ざん」がある。というのが近年のリテラシーではないでしょうか。大丈夫でしょうか。
投稿: satoru | 2007年7月19日 (木) 17時52分
想定外、想定外といいますが、どれくらい想定外なんでしょうか?
想定される震度に、安全率を見積もるのは当然でしょう。
M6.5に耐えられる設計というのは、M6.5を想定される最大の地震とし、
そこから何倍かの安全率を見積もっているのか、
最大の震度はそれ以下であると想定し、安全率を見積もった結果が
M6.5に耐えられるということなのか。
なんにせよ、警鐘をならすなら、正しい技術情報に基づいてほしいですね。
>マスコミが利権に躊躇するとき、その背後には、必ず「情報の隠蔽・改ざん」がある。というのが近年のリテラシーではないでしょうか
かなり、陰謀論に傾いたリテラシーだと思いますよ。
特に、”必ず”なんてつけているのは、メディアリテラシー的な考え方とは
かなりかけ離れた考えだと思いますけどね。
まずは、公式に出されている情報を重視するくらいから、はじめたらどうですか?
今回の変圧器の火災は、PCBが使えなくなったためだという話を
小耳に挟みましたがいかがなものでしょうか?
投稿: matu | 2007年7月19日 (木) 22時55分
本当の「想定外」のことは、評価しようがない気がします。
思ってもみなかった事なわけですから。
先生が挙げられた津波や破壊活動などの例は恐らく「意図的に想定の外に置いた」ことなので、これらは想定内にすることは可能でしょう。だからといって全部対策を取るのはコストが合わないので、やっぱりいくつかは想定の外に置いて、起きたら諦めるしかないのだと思います。
(自分の街に原発があったとしてもそう思いますし、逆に原発を全廃して生じるコストも受け入れる覚悟です)
>刈羽原発付近には、しばらくはもう来ないだろうから
ここからして既に「想定外」を作ってしまっていますよね。
投稿: ととちお | 2007年7月19日 (木) 23時32分
原発の安全性を論ずる前に、むしろ地元住民と良好な関係を保つことのの方が重要と考える。喩え被害が少なくとも、これまでの情報隠しの影響は大きい。「都会で必要な電気をほとんど消費しない田舎で作る」という構図自体に矛盾を感じる。
投稿: ととおくん | 2007年7月20日 (金) 03時01分
原発のセキュリティーを考える場合、当然コストのことも考えないとならないのですから、施設全体の安全基準を見直すことまでは必要ないでしょう。
優先度として
・まず何が何でもメルトブローなどの重大な事故は絶対防ぐ
炉心本体や緊急停止装置などは、最低でも観測史上最大地震の2倍程度は見積もっておくべきで、津波や破壊活動に対しても同様にすべきでしょうね。
・冷却水漏れなどは外部に漏れなければ良い
もちろん、頻繁に漏れるようでは困りますが、今回のケースなら漏れが屋内にとどまるようにさえなっていれば良いと思います。
・送電施設などの安全には関係しない機能設備は通常の耐震基準でよい
って感じではないでしょうか。
で、今回の被害を見ている限りでは、実際にうまく機能していると思いますよ。
一部、人為的ミスとかも有るようですが。
日本の原発行政で問題なのは、こういった情報の公開が不完全である点ではないでしょうか。
とにかく「耐震基準は充分だから大丈夫」というだけで、具体的な情報が余り外に出てこないのは徒に不安を煽るだけだと思います。
まずは、地域住民まで含めた形での原発と言う「システム」だという認識に立ち、「これこれこういう場合は、この程度の被害が予測されるので、こうしましょう」ってのは細かく規定し、きちんと公開すべきだと思います。
あとは、運用面での杜撰さも目立ちます(今回も緊急停止した場合換気システムをすぐ停めないといけないのに放置したらしいですし)ので、そういった部分の徹底も必要でしょうね。
トラブルを想定した訓練を定期的にやって、さらにそれに部外者も参加させる(ついでに最悪の事態を想定した町ぐるみでの防災訓練もたまにはしたほうが良いでしょうね)のも必要だと思います。
>わたしには、莫大な東電の広告費に遠慮した及び腰報道から抜き出せずにいるように見えてなりません。
>本件については、BBCやCNNの方が明らかに大きく警鐘報道をしています。
私には、国内の報道も充分攻撃的だと思いますよ。
原発不要論(それも国民が節電しろとか)まで唱えているキャスターもいましたし。
ただ、国内の報道はとかく揚げ足取りというか体制批判的な部分が大きなウェイトを占めているように思えます。
海外メディアの方が、根本的な部分を重視しているというか、そんな感じがします。
#もちろん海外メディアにとってはあくまで「国外のニュース」だからって部分はあるのでしょうが、日本メディアはとにかく体制批判が好きですからね
>地震に関しては、刈羽原発付近には、しばらくはもう来ないだろうから
私もこれは安直過ぎると思います。
特に新潟周辺は「二度あることは三度ある」になる可能性も否定は出来ないでしょう。
むしろ、新潟周辺で大きな地震が起き易い要因が何かしらあると考えても良いくらいではないかと思いますがね。
#地震関係の研究はまだまだ不完全なわけですし
投稿: B-51 | 2007年7月20日 (金) 12時40分
報道はもう単なるあら探しになりつつある様に思います。今日の読売新聞では先生のコメントも攻撃的アプローチよりな印象になっていました。
今回焼けた変圧器が無くなっても原子炉は終わりじゃないと伝えていた報道は無かったように思います。メディアの役割としては必要な内容だと思うのですが…。
今回の件に関しては、ここまでの地震でもこの程度で済むのか、が印象でした。少々鈍感過ぎかもしれませんね>私。
投稿: 嘘つきさん | 2007年7月20日 (金) 15時21分
SGWさんへ
>火災を起こした変圧器そのものは個別の原子炉建屋についている、
>原子炉内への電源供給のための機器だという報道がありましたが?
火災を起こした変圧器(3号所内変圧器)は、原子炉内を含む所内への
電源供給のための機器であることは確かなのですが、
>その変圧器が原発の安全性に関わりのない機器であるはずはないです。
「原子炉の」安全性にはかかわりのない機器です。
所内変圧器がとまると、発電機で発電した電力の一部を所内の設備に
送ることができなくなりますが、この3号機には低起動変圧器が
あるようですので、これによって所内設備へ電力を送ることができます。
ただし、この低起動変圧器も油漏れをしていたようですが。
ついでに、低起動変圧器も止まっても、予備変圧器があると思われます。
(このあたりは、実際の電源系統図を見たわけではないので、正確では
ありませんが、なんかの(忘れた)規則でつけなければならなかったはず)
予備変圧器は、主変圧器や起動変圧器とは別の電力系統に接続している
ものであり、主変圧器に接続している変電所が火事になっても、その
送電線がクレーン船あたりに引っ掛けられても大丈夫にしてあります。
さらについでに、外部から電力をもらえなくなったときには、内部で
発電します。非常用ディーゼル発電機というものがあり、これはかなり
安全性を高くしてあります。(主発電機や変圧器より安全な設備とされている)
これが、2系統あるいは4系統あると思うので、そこまで全て止まらない
限り、所内電源系統の不具合で原子炉が安全でなくなることはないように
設計されていると思われます。
投稿: ぴーぴー | 2007年7月20日 (金) 17時29分
http://www.chuden.co.jp/torikumi/atom/more/jishin.html
は中部電力の浜岡原発(静岡県)の耐震性についての説明ですが、もし地震によって原発が倒壊あるいは大きく損傷するようなことがあれば大事故になることは政府や電力会社は原子力草創期の頃から百も承知なわけで、だからこそ原発の主要施設を一般建築物よりはるかに厳しい耐震基準で設計したり、硬い地盤の上に直接固定して建設したりしているわけです。
今回火災を引き起こした変圧器について言うと、
http://www.chuden.co.jp/torikumi/atom/hamaoka/jishin_safe.html
を見ていただければわかるように、原発の安全性にはそれほど重要では無いということでCクラス、つまり一般建築物と同様の耐震性しか無いわけです。確かに、今回は消火するのに時間がかかったこと自体は問題ですが、あのまま放っておいたとしても原子炉本体の安全性には関わり無かったわけです。テレビで見る限りでは、最も重要な原子炉建屋の外壁にはほとんどヒビも入っていませんね。
今回のマスコミの報道ぶりは本当に目に余るものがありますね。今回の出来事を野球に例えたら、原発は地震に対して10対2くらいの大差をつけて勝利したのに、2失点したことに対してマスコミがバッシングを加えているようなものですね。元読売新聞記者の中村政雄氏が著書「原子力と報道」(中公新書ラクレ)http://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E3%81%A8%E5%A0%B1%E9%81%93-%E4%B8%AD%E6%9D%91-%E6%94%BF%E9%9B%84/dp/4121501578/ref=pd_sim_b_5/249-9505461-2493934
で言及しているように、マスコミの原子力報道はたとえ小さなトラブルでも針小棒大に扱う傾向がありますからねえ。
投稿: 金魚花火 | 2007年7月20日 (金) 17時37分
http://koku.iza.ne.jp/blog/entry/237961
のブログにはこんなことが書かれていましたね。
「原発で風評被害が出ているのだそうだ。前のエントリでも書いたが、やたらと原発の不安を煽るのもマスコミなら、風評被害だ、と記事にするのもマスコミで、一粒で2度おいしい気楽な商売だと思う。
新潟県の知事は、そういう認識がないらしい、どこに目をつけているのだろうか。「対応が後手に回り」というが、東電は精一杯やっていると思う。当日、放射能を含んだ水が漏れたことを確認し、発表するまで2時間ほどあった。これを非難する人もいるのだが、確認して、それが連絡され、広報が発表するのに、2時間程度かかってもしようがない。非難する人には常識というものがないのだろう。
それに「次々と明らかになる」トラブルというのも、わかったことを順次発表しているのだからしようがない。それとも1週間後にまとめて発表したほうがいいのだろうか。こじつけの非難はやめてほしいと思う。知事の不満も東電ではなく、マスコミに対して言うべきものだろう。」
投稿: 金魚花火 | 2007年7月20日 (金) 17時43分
http://temple.iza.ne.jp/blog/entry/237213/
「記事は風評を心配しているようなフリをみせるが、この記事そのものが風評被害の元凶だ。
朝日新聞は歴史的に社会党や共産党とタッグを組んで、原発建設に反対してきたいきさつがある。朝日新聞にしてみると今回のトラブルは「それみたことか!」で「狂喜乱舞」しているのだろう。
原発批判がうれしくてうれしくてしかたがないのだ。そのことで新潟県民に二次被害があったとしても、おかまいなしだ」
投稿: 金魚花火 | 2007年7月20日 (金) 17時46分
連続投稿失礼します。
原発の耐震性については、例えば香川県に多度津工学試験所(2年前に閉鎖)を作り、完成当時は世界最大級と言われた大型振動台を使用した実験により、大地震の揺れに原発が耐えられることをすでに確認しているわけです。
http://www.nupec.or.jp/files/seismic%20test.pdf#search='%E5%A4%9A%E5%BA%A6%E6%B4%A5%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E8%A9%A6%E9%A8%93%E6%89%80'
投稿: 金魚花火 | 2007年7月20日 (金) 18時33分
東電が信用されないとすれば
日ごろの市民とのコミュニケーションが
足りないということかもしれません。
最近の市民にある不信感は企業や役人や政府は
何をしてるかよくわからないいうことだと思います。
いくら立派な仕組みがあってもちゃんとやってるのか
といったことが見えないところに不信感があります。
マスコミ批判してもしょうがないですね。これは毎度のことですから。
マスコミに頼らない情報伝達を考えないといけません。
今回、信用できないマスコミ情報を鵜呑みで気になったことは
消化設備が整ってないらしいこと。
火災があった場合に消防署頼みで大丈夫でしょうか?
投稿: hachi | 2007年7月20日 (金) 19時42分
ぴーぴーさんが言うように、バックアップ用の機器が多重にあるから変圧器が原子力の安全性に関わりがない、という論理が成立するのなら、そのバックアップ機器自体も安全性には関わりがなく、バックアップのバックアップ機器も関わりがない、となって、どこにも安全性に関わる機器がないことになりませんか。
多重にある安全系全体の一要素として、その変圧器がある、というのが正解でしょう。
投稿: SGW | 2007年7月20日 (金) 21時43分
今回の地震は海溝型ではなく、断層型なわけで、断層型の周期は百年~一万年といわれてますから、こういった大きいエネルギーを持ちえる断層は限られており(あの辺にたくさんそういった断層があれば確率上がりますが、いままで無いといわれていたものが見つかったわけで、たくさんは無いはず)、かなりの確率でしばらくおきないといえるでしょう。
震度の割に死者、倒壊家屋(報道は倒壊しなかった家屋の数も発表すべき)の数が少なく、1981年以降の耐震基準(震度6強対応)はかなり有効に働いているなぁと思いましたが・・
投稿: じゅんた | 2007年7月21日 (土) 11時29分
しばらく前も想定外の揺れに見舞われた原発があったと思います。地震が続発しているわけでもないのに、想定外の揺れが続くのはなぜでしょうか?
私が考えるには、現在の技術では揺れの大きさを「想定できない」からだと思います。想定が外れたのではなく、現状では想定するに足る技術が無いと考えます。そうでなければ想定外が続くはずがない。
今回、たいした事故につながらなかったのは、たまたま地震の規模が小さかったからにすぎないと思います。
私は日本国内での原子力発電は止めるべきと考えます。使用量が増え続けている民生用の電器代金を大幅に値上げし、安易にクーラーなど使えないようにするしかないと考えます。
投稿: アキラ | 2007年7月21日 (土) 14時31分
>朝日新聞は歴史的に社会党や共産党とタッグを組んで、原発建設に反対してきたいきさつがある
共産党は原子力発電そのものに反対をしていないように思いますが?
安全対策をきちっとやれよ、プルトニウム方式はやばいぜ、っと言ってるだけだと思います。
投稿: kensan | 2007年7月21日 (土) 16時54分
>今回のもっとも重要なキーワードは、「想定外」である。
「想定外」の意味次第ではないでしょうか。
一般用語としては、「思いもよらない」「気づかない」という意味で使われることが多いです。
しかし、工学などの分野では、設計条件として考慮しないという意味で、「想定外」と言ったりします。なぜ考慮しないかと言えば、対策に費用が掛かりすぎて、費用対効果が悪すぎるからですね。その費用を他の事に投入した方が、社会全体ではより安全になるからです。
この場合は気づいてはいるけど、対策をしないという意味なので、一般用語としては「想定内」です。
今回は設計用地震力より、大きな地震力が観測されて被害が発生したわけで、工学的には当然といえば当然です。
しかし、別の解釈もあります。そもそもの設計用地震力の設定が小さすぎたという考え方です。では設計用地震力はどのように設定するかと言えば、確率的な考え方によります。例えば数百年に1回程度の地震には耐えられるべきだが、数千年に1回程度の地震はあきらめるわけです。投入できる資源は有限なのであきらめた方が、社会全体ではより安全であるという前述の考え方からです。
ここで、設計用地震力の設定が間違っていたという場合にも二つの場合があります。
一つは、何年に1回の地震にするのかが甘かったという場合です。数百年ではなく、数千年と変えるべきだというような意見です。
二つ目は、想定する地震の発生頻度は妥当であったけれども、その地震の大きさの見積もりが小さすぎたという場合です。
さらに、この二つの事柄は独立ではありません、何年に1回が妥当かということと、その地震の大きさは相互に関係するからです。実際には地震のことは分からないことが多すぎますし、簡単ではありません。普通は工学的判断とやらで適当に決めているのではないでしょうか。
このように、地質年代的時間スケールの考察から設計用地震力は定められるのですが、さて今回の一つの地震によって、設計用地震力の設定に影響を与えるような知見が得られたのでしょうか。わたしは非常に疑問です。
メディアの論調は単純で、「設計用地震力より大きな地震力が観測されたのは問題」「現実に被害が生じたから問題」と言っているだけです。これは、絶対に被害を出しては成らないと言っているわけですから不可能です。つまり原発は作っては成らないと言っているのだと思います。こう言う考え方もありうると思いますが、火力発電所も自動車も作っては成らないことになりますから、その違いを説明しなければなりません。
以上のようなことを明確にして「想定外」という言葉は使わなければ混乱するだけだと思います。
メディアも失礼ながらC先生もその点があいまいではないでしょうか。
投稿: zorori | 2007年7月22日 (日) 08時49分
今回の一番の問題は、真剣に活断層の調査を行わず、活断層は無いと断言した東京電力と、それを容認した行政当局の姿勢の問題だと思います。今回のことがあって、はじめて海底の活断層の調査に乗り出すというのでは、とても一般の市民の理解は得られないでしょう。
今回、原発が10対2で勝ったというコメントがありましたが、一般市民は、100対0で勝つことを求めていると思います。それを実現するためにコストが合わなければ、原発以外の発電(石炭火力など)に移行し、地球温暖化の対策は別途考えることにすべきかなと思います。
宮城県の女川原発は、2002年11月・2003年5月・同年7月・2005年8月と、海溝型地震も含めて震度5以上の地震に連続で見舞われています。現在の科学的な知見では、まだまだ、わからないことが多いと思います。(2003年7月の地震はいまだに原因がよくわかっていない。)
柏崎付近で大きな地震は当分来ないとは、自然科学者がいうべきで無いと思いますが。
投稿: ひみつ | 2007年7月22日 (日) 08時55分
いろいろとご意見をいただきました。意見分布が非常に広いのが、原発の特徴。
一般的な感想としては、やはり、リスクというものがまだまだ十分に理解されていない、というものでした。
リスクを中心にモノを考えている人間が原発をどのように考えているか、というと大体次ぎのようなものです。
原理原則としては、「現時点で、発電コストをある金額に決めたとき、どの発電方式がもっともリスクが低いだろうか。若干高めの発電コストを容認した場合には、その順番は変わるのかどうか」。
今回問題にしたかったのは、「想定のレベル」が低すぎたのではないか、ということで、もう少々高めの発電コストを仮定して、新たに高めの「想定のレベル」を作りなおす必要があるのではないか、ということです。
いずれにしても、その際、もっとも基本となるのは、どんなシステムでもリスクはゼロにならないこと。すなわち、ひみつさんがおっしゃるような100:0で原発が勝つことは絶対に無くて、まあ、1000:1ぐらいで勝てば、他の発電方式のリスクと同等のように見える。具体的には、石炭火力が出す大量の重金属、天然ガス火力などでは資源枯渇の可能性、風力だと不安定なことによる停電の危険性、水力ならダムによる自然破壊、などなどと、原発のリスクが同程度になるのでは。リスクの質が違うことによる増幅係数(=好みの項)が最後の議論になるけど、これはあくまでも好みであって、科学ではない。すなわち、好みの議論に拘泥していると、いつまで経っても合意形成はできない。
リスクというものの本質は、確率ですから、少しでも確率が低いことがあれば、それを有効に活用すべき、ということが当然の帰結。すなわち、断層型の地震だと、再度エネルギーがたまるのに500年とか掛かる訳だから、一度起きたところが原発適地だという判断はリスク論的には当然。500年後にまでには、他の地域に移せばよいということになります。
リスク論というものは、このように余りにもプラグマティックなものだから、思想的には「軽い」としばしば思われるのです。リスク論そのものは、思想でありツールだと思いますが。
いずれにしても、原発は使うなという思想に凝り固まるのも、原発は使うべきだという主張に凝り固まるのも、いずれも今後予想される流動的な状況への対応が遅れて、その意味でリスクがあるように思います。
投稿: C先生 | 2007年7月22日 (日) 12時41分
>今回問題にしたかったのは、「想定のレベル」が低すぎたのではないか、ということで、もう少々高めの発電コストを仮定して、新たに高めの「想定のレベル」を作りなおす必要があるのではないか、ということです。
C先生のおっしゃるような確率に基づいたリスクによれば、現在の日本の原発は想定レベルが高すぎるように私は思います。机上計算でも、過去の事故や被害実績から推測しても、お金をかけすぎでしょう。柏崎原発の予算のいくらかでも、民家の耐震補強に回しておけば、原発の安全性をさほど下げること無く、10人の犠牲者のうち何人かは助かったかも知れません。
経産省は原発は他の発電方式に比べても経済的だなどと言っていましたが、電力会社がそうではないことを数年前に漏らしてしまいました。曰く「電力自由化によって、原発は他の発電方式に経済的に太刀打ちできない。原発は国策で行うのだから、国が補助すべきだ」と。では高コストの原発を電力会社が採用していたかと言うと、総括原価方式による公共料金制度のためです。この方式では高コストの方が利益がでますから。しかし自由化でそれが崩れてしまったわけです。
技術的に未解決の廃棄物処理の問題を除けば、原発はリスク的には、安全すぎる可能性もあります。さらにこれ以上安全のためにお金をかけるのは、原発以外の危険を増し総合的に危険が増えるかもしれません。他の安全対策に投入すべきと思います。また、C先生は発電事業コストそのものを高めに設定すべきだとおっしゃいますが、そうすると、現状の発電事業は他の分野に比べて安全性が低いということになります。しかし鉱工業、建設業労災者数、自動車事故死者数などをみても、私にはそうは思えません。
ところが、一般には原発はもっと安全対策に投資すべきだという風潮です。C先生もそうおっしゃるわけです。ここが妙なところです。もし私が間違っていて原発のリスクが大きいものなら、一般にはリスクの理解が足りないというC先生の感想も変だとなります。私が正しくて、リスクは十分小さいのなら、もっと想定レベルを高くすべきと言うC先生の意見は腑に落ちません。
実は、一般人もC先生もリスクの理解とは別の心理で
原発にもっと安全を求めているような気がします。人間心理は、同じ期待値でも同等に評価しません。例えば、宝くじは期待値的には馬鹿らしいものですが、人気があります。それは多分賞金が高額だからでしょう。また、期待値としては損するはずの保険が成り立つのはなぜでしょうか。それは、万が一の損害が非常に大きなリスクは、期待値が大したことがなくても避けたがるのが人間心理だからです。古典的確率論的な感じ方を人間はしませんから。
このような人間心理はリスクを理解していない愚かな事でしょうか。私はそうは思いません。仮に私が正して、その場合にリスクを合理的に評価すれば、安全対策には金をかけすぎだとなります。しかし、多くの人はそんなことは納得しないだろうし、それは無知のせいだけではないと思います。
結局、原発はリスク的に安全でも、あまりに巨大技術という点が最大の問題だと思います。もし、一家に一台という小型原子炉でも可能なら、事情は変わると思いますけど、。ただし、廃棄物問題は別です。この点でも原発は問題後送りの典型でダメだというのが私の考えです。
投稿: zorori | 2007年7月22日 (日) 17時10分
レスありがとうございます。C先生のおっしゃることは理解できます。1000対1であれば、そのくらいのリスクは、受け入れようかと普通の人は思うでしょう。リスク管理がどうあるべきなのかというのは、確かに確率の問題です。
しかし、確率で管理できるとしても、実際に行うのは人間です。万が一重大な事故がおきてしまったら、他の施設などよりも、とてつもなく広域的に被害を及ぼし、また、何世代にもわたる被害がでる原発は、きわめて高い倫理観を持った人にしか任せられません。IAEAの調査団を断るような政府や情報隠しに奔走する電力会社にリスク管理がまともにできるのかというのが、私の感想です。
よほど、見せたくないものがあるから、現場の混乱などという信じられない理由で、IAEAの調査団を断ったと思うのが、普通の感覚ですね。こうした情報は、できるだけ全世界で共有すべきであると思いますが。
投稿: ひみつ | 2007年7月22日 (日) 21時05分
将来に起こる出来事について、人間は双曲割引という選好をもっている、という議論があります。
「誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか」(ジョージ・エインズリー著 山形浩生訳)
「合理的」なリスク評価をするのは人間的ではない、という話がどう原発事故に関わりがあるのかはちょっと考えてみてもわかりませんが。
投稿: SGW | 2007年7月23日 (月) 03時00分
関連事業を手がけている会社に勤めているからというわけではなく、先生のご意見に賛成です。
奇跡かも知れませんけど、確実に守られるべきところが無事だったのは不幸中の幸いです。地震学者は後だしジャンケンをせず、本当に必要なところは確実に守ることができる妥当な限界地震想定のための反映を望みます。
NHKには意見を送ったせいか直りましたが、マスコミ全てが当初から発電所で起きたことを全て「トラブル」と報道していました。私の読んでいる新聞や民放ではいまだ「トラブル」としか書きません。これではみな不安になるのも無理ありません。まさにメディア・バイアスを感じました。
中には担当者のミスの件もあるようですが、被災しているのにちょっとひどくないかと思います。マスコミは事実を的確に把握できていないことを恥ずかしく思わないのでしょうか。
投稿: saku | 2007年7月23日 (月) 11時00分
いずれにしても、日本は情報の隠蔽体質がまだまだ高いと思います。
原発のリスク論にしても、普段から国や電力会社は「原発は充分安全だ」という話しか(表面的には)してきませんでした。
だからこそ、今回のような微小な障害でも国民は大きな不安を覚えるのでしょう。
普段から、原発のリスク(***くらいの地震だと、***位の被害が想定されるが、その程度のリスクは総合的に見て火力等と変わらないとかね)をきちんと説明し、そういった「万が一」のときの対応を地元にも周知徹底しれば、今回のような騒ぎにはならないんじゃないでしょうか。
まあ、ひところに比べれば、日本政府や公的組織の情報公開は大分進んできてはいますが、まだまだ不十分だと思います。
#話題がそれますが諸外国に対する政策アピールにしても同じですね
アメリカを見習って、もっと情報操作や心理誘導(と書くとマイナスなイメージがありますが、正直にリードするという意味です)に力をかけるべきでしょうね。
>IAEAの調査団を断るような政府
昨日(22日)の報道によると、受け入れるということだったと思いますが。
投稿: B-51 | 2007年7月23日 (月) 12時39分
週刊現代の最新号の記事はひどいですねえ。
http://online.wgen.jp/
ろくに魚の放射能を調べたわけでもないのに「放射能危険魚リスト」って・・・。風評被害を煽ってそんなに楽しいのかねえ?
投稿: 金魚花火 | 2007年7月23日 (月) 15時31分
私も、zororiさんと同様、原発のリスクに対するコストは
十分または過剰であり、C先生が仰るような、
これ以上、上げる必要は無いと考えます。
なぜかって、今回の地震にほぼ耐えているからですが。
震源がほぼ真下の、『想定外』の大地震って、言い換えるなら、
ここが地震被害のMaxってことじゃないんですか?
この程度の被害なら受け入れられると思いますけどいかがでしょうね。
まぁ、そもそも、メディアのこの『想定外』という言葉の使い方が
非常に不正確な感じがしてどうかと思うのですけど。
当然、技術進展の努力は続ける必要があるとは思いますが、
(震度の想定精度の向上も含めて)
リスクの想定基準を上げる必要はないと考えます。
現在の軽水炉の、メルトダウンのような致命的な事故を起こす確率は
1000対1どころか、10の6~7乗年に1度のオーダだったと思います。
現状、伝えるメディアのあまりの酷さが目に付いて、
東電等、情報発信元の問題が殆ど気にならない始末です。
東電は良くやってるとさえ思ってしまいます。
投稿: matu | 2007年7月23日 (月) 17時01分
「想定外」ということについて言えば、「想定外」かどうかは、今回の地震だけで判断できるようなことでは無いと思います。
今回の観測地震力は設計用地震力を上回りました。その設計用地震力はある再現期間に1回程度発生する大きさの地震を想定しています。なので、今回の地震は想定地震よりも稀な地震であったと解釈すれば、「想定内」の事になります。
しかし、メディアが「想定外」と言っている意味は、今回のような強い地震でも、その再現期間は短く、稀な地震ではないかもしれないという疑いがあるということかと思います。(そこまで考えていないような気もしますが)
でも、本当のところは、ある程度長期間の観測をして、今回程度の強さの地震の複数のデータが無ければ分かりようがありません。過去の膨大な観測記録に1例加えただけで、知見が大きく変わるとは思えません。
宝くじに1回当たっただけで、「当選確率の低いくじに当たるのは変だ。当選確率はもっと高いのではないか」と疑っても、1回の経験だけでは真偽は分かりません。
しかしまた、このような疑いが出てくることに原発の問題があるのかも知れません。地震は地質年代スケールの出来事で、それに比べたら人間の持っているデータは少なすぎます。前に膨大な観測記録と書きましたが、それでも地震相手では不足です。つまり、地震は未知のことが多い研究段階にあるわけで、そのような未完成の研究に基づいて実用施設を作るのは、失敗が許される場合に限ります。実際に一般の建築物の耐震設計は地震被害がある度に法改正を行ってきた経験工学です。しかし、原発は失敗が許されないほどの巨大技術なのではないでしょうか。
投稿: zorori | 2007年7月23日 (月) 22時36分
コメントの流れに乗り遅れたので書き込むかどうか迷ったのですが、少々失礼させていただきます。
C先生のコメントを見ましても、
>「想定のレベル」が低すぎたのではないか
>耐震基準
この2点がなにやら問題になっているかと思いますので、その辺について少し駄文を書かせていただきます。
ここに比較的詳しく書かれておりますが、
http://atomica.nucpal.gr.jp/atomica/11030130_1.html
耐震基準については昨年9月に改定したばかりですので、今回の地震によって改定の論議すら起きないと思います。
旧指針では想定される直下型地震としてM6.5の規模を考え、起きる可能性がある最大の地震動として設計用最強地震S1を策定し、さらにそれを上回る設計用限界地震S2を想定して耐震設計が行われていたのですが、昨年8月に宮崎県沖で起きた地震により、女川原子力発電所において、S1はおろかS2すらも(わずかではありますが)超える地震動が観測されました。
「想定外の」地震があり得ることは以前より地震研究者には広く認識されていた?らしいんですが、この新しい耐震基準では基準値震動をS1、S2ではなくSsという形に一本化し、Ssによる地震力に対して耐震安全上重要な施設の安全機能が保持されることが要求されております。Ssは敷地ごとに設定され、以前のS2よりも強い地震動を設定することになっているみたいです。
そしてさらに、ここが重要な点だと思いますが、そのSsをも超える地震が起こる可能性を明確に指摘していて、「残余のリスク」への留意を求めているのが新基準の興味深い点だと思います。「残余のリスクの存在を十分に認識して、それを合理的に実行可能な限り小さくするための努力が払われるべき」とされております。実際には地震PSA(確率論的安全評価)という手法で残余のリスクを見積もるらしいですが、専門家ではありませんのでその詳細については私はあまり理解できておりません。。。
柏崎原子力発電所はこの新しい耐震基準についての調査を終えていないかと思いますが、どちらにせよ今後日本の軽水炉は全てこの基準に従うこととなります。新しい耐震基準で言えば「想定外の地震」などというものは存在しなくなるわけで、想定外とか想定内といった議論はもはや意味を持たないと私は思うのですが、いかがでしょうか。
投稿: さといも | 2007年7月24日 (火) 01時22分
技術が大丈夫というならそれをどうアピールし信用されるか
ということを考えもらいたいですね。
技術がリスクがといった話以前に
これまでの対応から何か隠してるに違いないごまかしてるに違いないと
思われてるわけですから。
原発不信ドイツでも 火災対応遅れ社長辞任
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2007072302034900.html
投稿: hachi | 2007年7月24日 (火) 01時39分
今回の事故で最も重要なポイントは、何故想定が外れたかです。原発を推進する上ではこの点の検証が避けて通れないはずですが、なぜか原発に肯定的な方々はここを無視されているようです。想定を越える揺れが各地の原発で続くのでしょうか?私には「想定するに足る技術が無い」か「故意に低い想定をした」の二つ以外に合理的な理由が思い浮かびません。「ひみつ」さんの意見に全く賛成で、日本の原発関係者は信頼に値しないというのが現実的な解釈でしょう。
C先生のおっしゃるように、リスク管理がプラグマチックな物ですから、人間や組織の資質もまた冷静に判断する必要が有るはずです。まるで性善説に基づいているようなC先生の御意見はナイーブに過ぎると思います。おそらく環境負荷等考えると原発は不可欠とお考えなのだと思いますが、原発にまつわる人的リスクを無視して良い理由にはならないと思います。
投稿: アキラ | 2007年7月24日 (火) 08時06分
「柏崎刈羽原発は想定以上の揺れに襲われた」と言いますが、
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu07_j/images/070719a.pdf
その割には原子炉建屋にはヒビ一つ入っていませんよね。実際のところ、「想定以上の揺れ」が来たのはほんの一瞬だけで、本震全体の力は設計を下回っていたのではないでしょうか?もうしばらくしたら、そういう調査結果が出てくると思いますよ。
と言うのも、例えば、今年3月の能登半島沖地震の時、震源から約20キロの距離にあった志賀原発で観測された地震波は、設計時の基準地震動S2を一部の周期帯で超えていたわけですが、これはほんの一瞬だったため全く問題が無かったわけです。
http://www.rikuden.co.jp/press/attach/07060102.pdf
投稿: 金魚花火 | 2007年7月24日 (火) 19時35分
さて、今回の地震の震源と思われている断層は、東電が1979~85年にかけて実施した海底音波探査で、一部(約7km)が発見されていました。国の地質調査所が1994年に発行した海洋地質図には、この断層が約20kmで描かれています。今回の地震はM6.8ですが、この20km全体が動くとM7だそうです。こうしたことは、国の設置許可の取り消しを求める裁判でも原告(反対派)は主張していました。
ですから、今回の地震と起こったかもしれない原発震災の可能性は周知でした。
では、この可能性が原発の設計や運用と言う現実に取り込まれていたでしょうか。海底音波探査でみつかった断層は、死んでいる断層として切り捨てられ「想定外」にされました。東電は、海洋地質図の件は2000年ごろに知ったそうで「中越沖地震の前から、この部分は活断層かどうか検討する必要があると考えていた」(酒井 東電原子力設備管理部土木技術グループマネジャー)が、検討されませんでした。
毎日新聞の調査では、国の地震調査研究本部が調査した17断層で15断層で電力会社の方が想定地震を小さく見積もっているそうです。つまり、地震学的に科学的に発生の可能性が十分にある地震が、原発の設計や運用に取り込まれていない「想定外」とされている問題は全国規模の問題です。
耐震性の見直しで、現在の運転している原発の耐震性が不足していると分かったら、補強するのは当然ですが、補強できないのなら廃炉にするのか、しないのか、運を天に任せて運転を続けるのでしょうか。
新潟は柏崎刈羽原発は、補強前に設計で想定した地震の揺れ以上、1号炉のでは2.5倍の揺れにあっています。自動車のシートベルトは実際に作動した場合は、ベルトが伸びきっているので取り替えるそうですが、柏崎原発は塑性変形(力がなくなっても元に戻らない変形)をおこすと設計段階で設定された揺れ(350ガル)以上の揺れにあっています。それでも、鈴木原子力安全委員会会長は、「安全機能は維持されている」と詳しく調べもする前から言っている。現にクレーンの太い車軸が切断されているにもかかわらず、詳しい調査や評価の前からすでに結論が出ている。また安全なら、補強も適当で形だけでよいわけです。時機を見て、運転再開とい意図が丸見えです。
投稿: ひげおやじ | 2007年7月26日 (木) 18時31分
金魚花火さんがおっしゃるように、瞬間的な最大加速度は大きな問題ではありませんね。建物に入るエネルギーが問題ですから、継続時間や速度も重要なファクターです。それに建物の性状も関係します。その辺を考慮して、地震応答解析します。また、建物に軽微な被害が生じると、振動性状が変化して、入力地震エネルギーが減ったりします。これに比較して風荷重などは、建物形状が変化するまで、継続しますから、最大値は重要です。瞬間最大風速と言っても、建物にとっては瞬間ではない場合もあります。
昔、一般の建物で設計用地震力の5倍程度の加速度が観測されたことがあります。でも大した被害はありませんでした。一方で、大した地震でも無いのに、被害を受ける建物もありました。そんなこんなで、耐震設計の法律改正がされましたが、最大加速度だけでなく、いろんな要素を考慮するように変わりました。
単純化すれば、耐震計算では、地震力より建物強度が大きいことを確認します。ところが、地震力も強度もあくまで想定です。建物強度の方は、理論的にはかなり正確に計算できますが、実際の建物は複雑すぎて現実の計算は相当な概算です。地震力の方は理論さえよく分かっていないように思います。それでは無意味ではないかと言うとそうでもなくて、過去の地震でも壊れなかった建物と同等以上である確認は出来ますし、原発は一般建物より数倍は丈夫であるというような相対的なことも保証できます。経験と理論で総合的に判断できます。計算上は、地震力と強度の関係が、1<1.5 と出ても、本当は 2<3 かもしれません。でも不等号の向きは変わらないだろうと経験的に判断しているわけです。
以上は誇張した表現なので、耐震設計とはいい加減という印象を持たれる方もいるかもしれませんが、趣旨は総合的に判断しなければならないということです。一つの観測記録だけで、安易に結論は出せません。
工学とは意外に経験的なものであることは他の分野でも言えるように思います。歴史的にも多くの犠牲者を出しながら飛行機は安全になってきました。社会もそれを許容しました。しかし原発ではそんな試行錯誤が社会的に許されないのが最大の問題だと思います。
投稿: zorori | 2007年7月26日 (木) 20時12分
連投失礼します。
私は昔、原発ではありませんが原子力施設にかかわる仕事をしたことがあり、そのときに考えたことです。
リスク論的には原発は他の施設よりはるかに安全であると思います。しかし、多くの人はそれでは納得しません。その理由は保険の考え方と同じだと思います。保険は確率的期待値では損です。リスク論的には保険は成立しません。にもかかわらず、人は保険に加入します。その理由は、自分の経済力では負担しきれない損害に備えるためです。個人では、交通事故の賠償金はとても払えませんから、任意保険に加入するのは常識です。しかし経済力の大きな組織、例えば役所の公用車では加入しないのが普通です。役所は賠償金程度で破たんはしませんから、保険に加入するのは税金の無駄遣いになるからです。
危険分散も似た考え方です。分散したからと言って、損害の期待値は変化しません。リスク論的には危険分散は無意味ですが、現実にはいたるところで危険分散は行われています。保険は小さな経済主体が合同して万が一の損害額より大きな経済主体になって備えるものです。危険分散は損害額を分割して、自分の経済力より小さくする対応です。
さて、日本には原発が55基ありますが、スケールメリットを追及して、これを1基の超巨大原発にする計画に賛同する人はいるでしょうか。リスク論的には55基分散よりも被害期待値は小さくできるとしましょう。だたし、非常に小さな確率ですが、破滅的な事故が起きれば日本国も破滅します。
この超巨大原発も現状の原発も実は五十歩百歩ではないかと私は思うのです。今の原発でも可能性は非常に低いとはいえ破滅的な事故が発生すれば地域は壊滅します。国家レベルでは許容出来ても、当該地域としては許容出来るでしょうか。国が補償するからといっても、肝心の保証してもらう地域はもう存在しないのです。
投稿: zorori | 2007年7月26日 (木) 20時19分
イタリアのサッカーチームが来日を取りやめたそうですね。
いろいろな意味で興味深いニュースです。イタリアの報道、市民の反応はどうだったのか?
僕もzororiさんのようなことを考えたことがあります。危険度があまりにも大きい場合(民族全滅クラス)には、なんか係数をかけた方がいいような気がしていました。先日の「増幅係数」の一種になると思いますが。
ただよく考えれば、普通リスクは自分のことだけ考えますから、あまり関係ないのかも知れません。原発に対するリスクの増幅係数は、原爆の経験も効いていると思いますし、それより、「よくわかんないものに殺されるのはいやだ」という心理が大きいのではないでしょうか。例としては放射線の他にプリオンがあります。
原発を理解してもらおうとする人は、もっと放射線自体を理解してもらう努力が必要なのかも知れません。いっそエセ科学を逆手に取って、「放射能ダイエット商品」を某カリスマ司会者に広めてもらうとか(邪道か)。
さらに言えば、ととおくんの(ととちおとは別人です)一言が真理をついているような気がします。信頼されているリリーフピッチャーは、例え年に1~2回くらい失敗してもそれほど非難されませんし、起用した監督が責められることもありません。彼を起用した選択自体が間違っていないことをみんな理解しているからです。原発も、ある程度まで明らかにしたら、あとは数字の話ではないような気がします。
けんかだって、理屈の優劣で決着するわけではなく、最後はなんとなく理解して終わります。人間相手の科学ですからそういう視点も必要で、なおかつ近道という気がします。
投稿: ととちお | 2007年7月26日 (木) 23時37分
今回、柏崎刈羽原発の件で明らかになったのは、重要施設の耐震性ではなく、むしろ関連施設の安全管理の問題ですね。原発の重要施設についてはAクラスとして、建築基準法による一般建築物の静的地震力の3倍の基準で作られているわけですが、今回火災を引き起こした変圧器はCクラスで、一般建築物と同程度の耐震性しかないわけですね。
また、使用済み核燃料冷却プールからの微量の放射能漏れですが、あれはいわゆる「スロッシング現象」、つまり水槽を強く揺すると水がこぼれるのと同じ現象が起きてしまったわけで、このような現象が発生することは以前はあまり考慮されていなかったわけですね。対策としては、冷却プールの水面からの高さを引き上げるのが有効ではないかと思います。
それにしても、今回の件で僕が懸念しているのは、一般市民の原発アレルギーがますます高まるということでしょうね。今回の柏崎刈羽原発の件は別に「大事故になる一歩手前」では無かったのですが、その事をきちんと理解する人がどれだけいるのかというのが問題ですね。近年は地球温暖化や原油価格高騰への対策として世界各国で原発が再評価され、「原発ルネサンス」とも呼ばれる状況になっているのですが、日本の原子力関連施設では90年代以降から死亡事故やトラブル隠しが相次ぎ、原発の稼働率は先進国の中でも唯一下がってしまっているわけですね。
反原発派の人の中には、「地震国である日本に原発を作ること自体間違っている」という人がいますが、これは単なる感情論ですね。これを言い出したら、日本にはどんな建物も作れなくなってしまいますね。実際には、きちんとした耐震設計で作られたり、硬い地盤に作られた建物は大地震でも大丈夫なわけです。だいたい、耐震性の問題を言うならば、火力発電所は原発と違って、埋立地のような軟弱な地盤の上に作られているものが多いのですが・・・。
ちなみに、昨年改訂された政府の耐震審査指針では、原発を免震構造で作ることを容認しました。これから新設される日本の原発は、免震構造で作られるようになるのではないかと思います。
投稿: 金魚花火 | 2007年7月27日 (金) 18時09分
信頼というのは相互理解であると考えます。東電が情報公開をしないと叩かれるのも仕方のない部分があるとは思いますが、市民側にも理解しようとする姿勢が足りない部分があるような気がします。
別に原発に限った話ではなく、まあそういった啓蒙のためにこのサイトが活動しているのだと思う次第ですが。
断層については、今回の地震波を測定したところ当初の想定とは違う位置と傾きだったことが判明したとか(今日の日経新聞でちら読みしただけなので詳しくはわかりません)。そういった「想定外」もあるのでしょうね。
運が良かったにせよ今回は想定外にも関わらず大事故が起こらなかったわけで、やはり良心的だったらしい施工業者に感謝ですね。東電の「今後」についてはよく見守っておくべきだと思います。運転再開は早くても来年の秋だという報道もありました(2夏は電力不足が心配だとか)。再開前には初回運転前と同様の検査等を入れるとのことで、かなり慎重にやろうとしているのだと思います。
投稿: Tama | 2007年7月27日 (金) 18時20分
うお、書いてる間に他の人が。連投失礼します。
免震構造は、今の技術だと寿命が「60年以上」という程度のタイムスケールで考えられているはずです。一般家屋やビルなどでは十分な寿命ですが(今後は十分じゃなくなるのかもしれませんが)、原発の構造物がどの程度の寿命を考慮しているかで採用されるかどうかが決まるような気がします。
周辺装置との連結もありますので、免震のクリアランスも重要なファクターになるでしょうね。良い設計が出来れば、確かに効果は絶大だと思いますけれど。技術的には大変面白い課題だと思います。
投稿: Tama | 2007年7月27日 (金) 18時32分
>Tamaさん
免震装置については、老朽化すれば交換することが可能らしいですからね。まあ、原発については50~60年は使用するとのことですから、免震装置の寿命は60年で十分なのではないでしょうか?
>市民側にも理解しようとする姿勢が足りない部分があるような気がします。
確かにその通りですね。マスコミ報道などを見ても、マグニチュード(M)はあくまでも地震全体のエネルギーの規模を表す単位であって、ある地点(この場合原発)の揺れの大きさとは違うものなのに、「想定のM6.5を上回るM6.8の地震に襲われた」みたいなことを平気で報じていますからねえ。原発の耐震性については、いろいろとややこしいですから誤解する人が多いわけですね。
投稿: 金魚花火 | 2007年7月27日 (金) 19時26分
>ととちおさん。
>先日の「増幅係数」の一種になると思いますが。
増幅係数は客観的に決められないのが難点ではないでしょうか。社会的合意で決めるしかなくて、株価や物価みたいな決めかたしかないように思います。
これらは、多数の取引の施行錯誤を通じて、妥当な値に落ち着きます。他の様々なものの安全レベルも施行錯誤で決まってくるように思います。何か大きな事故が起きると、少し安全性を高めようかとなります。
ところが、原発では試行錯誤が許され無いのが困るわけです。増幅係数のようなものが決められるのは、施行錯誤が許される被害レベルのものまでに限られるように思います。
>ただよく考えれば、普通リスクは自分のことだけ考えますから、あまり関係ないのかも知れません。
そうかもしれませんが良くは分かりません。確かに徹底した個人主義の人なら、原発事故でも交通事故でも死ぬことに変わりは無いので、原発を特別扱いはしないと思います。人は必ず死にますから、個人的破滅も受け入れられますし、自分が1万人の死者の内の一人でも、10人の内の一人だろうと区別はないと思います。
しかし、そこまで割り切れる人は少なくて、社会、地域、子孫のようなことを多少なりとも考えるのではないでしょうか。それらが、破滅せずに永続して欲しいと願うのではないでしょうか。
>原発を理解してもらおうとする人は、もっと放射線自体を理解してもらう努力が必要なのかも知れません。
原発事業者も分かっていて、盛んにPRに務めています。しかし、信用され無いという困った面があります。
それは仕方無いとして、否定派の人は放射能(線)は質の違う危険であると、言ったりします。子孫にも影響が残るというようなことです。(広島、長崎の被爆者の研究では遺伝的影響は認められなかったそうですが)しかし、そのような危険は自然の放射線でも、レントゲン撮影でもあるわけです。そこで、推進側はそういうことを説明し、放射線は得体の知れない怪物ではないと言います。得体の知れないのは最大の恐怖ですが、受け入れているレントゲンと同じ質の危険だと分かれば原発も受け入れらるはずですから。でもダメなんですね。
私は、質ではなく量の問題だと思います。仮に火力発電の技術開発が進み、コンパクトで原発並みの出力が可能になったとします。ただし、万が一の事故の被害も原発並みです。こういうものは受け入れられるでしょうか。
ちなみに、政府が原子力災害規模をどの程度に見積もっているかは、「原子力災害の賠償に関する法律」が参考になります。7条で1事業所あたり600億円の損害賠償保険への加入が義務付けられています。また、10条で損害賠償補償契約を政府と交わすことになっています。これは、保険で不足する賠償責任は政府が補償するというものです。さらに16条で、以上の上限付の賠償措置額で不足する分は政府が援助することになっています。
つまり、保険では対応できないことが想定されていて政府が青天井の援助するということです。純粋な民間事業としては成立し無い国策事業ということですので、他の発電方式との経済比較など信用できないことが分かります。経済比較では廃棄物処理や廃炉費用は考慮されていなかったと思います。(記憶違いかも知れません)
どうも、否定派も推進派も安全のためと称して、更に原発にお金をつぎ込む方向に向かっているような気がして気になります。
投稿: zorori | 2007年7月27日 (金) 20時17分
>得体の知れないのは最大の恐怖ですが、受け入れているレントゲンと同じ質の危険だと分かれば原発も受け入れらるはずですから。でもダメなんですね。
どちらかというとレントゲンも得体の知れない恐怖になっていたりしますからねえ。あと、少なくとも日本では大半の人が、チェルノブイリ級の事故が数十年に1回くらい世界のどこかで起きる、と思っているのではないでしょうか。
>私は、質ではなく量の問題だと思います。仮に火力発電の技術開発が進み、コンパクトで原発並みの出力が可能になったとします。ただし、万が一の事故の被害も原発並みです。こういうものは受け入れられるでしょうか。
そういう面もあるでしょうね。暴露とは関係なく、想定される最大の被害で決まっちゃうみたいな。ただ、この火力発電だと原発ほどの抵抗はないんじゃないかと(全く根拠はないですが)思うわけです。
ゼロリスク思想の件で思い出しましたが、製造業にいると、不良はゼロにしないといけない、事故はゼロにしないといけないという思想を叩き込まれます。ハインリッヒの法則なんてどこでもやっているんじゃないでしょうか。そういうのもリスク感覚の妨げになっている気がします。原発やめるのが究極のフェイルセーフだよね、なんて環境に興味を持つ前には茶化していた記憶もあります。
投稿: ととちお | 2007年7月27日 (金) 23時16分
今回、設計値以上の加速度に実際の発電所が耐えたのは
単に施工業者の腕が良かったからではありません。
もともとの耐震設計に相当の余裕を見ているからです。
また、今後の調査で明らかになるでしょうが、実際の
設備、機器が弾性変形の範囲だったのか塑性変形まで
至ってしまったのかも興味深いところです。
原子力の安全とはつまるところ、放射能をしっかりと
閉じ込めて放射線災害を起こさないようにすることに
尽きるわけですから、仮に塑性変形を起こしていても
材料が破断していなければ十分ということです。
ただし、大規模塑性変形が起きてしまうと当該設備の
継続使用は難しくなるでしょうから、なるべく弾性変
形の範囲で収まることが望ましいわけです。
原子力発電で何かあると ひみつ氏のように「万が一
重大な事故がおきてしまったら、他の施設などよりも、
とてつもなく広域的に被害を及ぼし、また、何世代に
もわたる被害がでる原発」などと煽る方が多いですが、
これは言いすぎです。
過去の原爆被災やチェルノブイリの経験から数十年後
もぺんぺん草も生えない、などということはないと分
かっていますし、そもそも西側の原子力発電所では、
それほどのことが現実的に起きることは想定しがいた
いです。これは「想定外」の議論をしているのではな
く、物理的に「広域的・何世代もの被害」を起こしう
る経路が存在しえない(または恐ろしく低い確率)と
いうことです。
仮に今回より大きな地震が起きて原子炉も停止できず、
全てがつぶれて、炉心が溶けたとしても、燃料からの
気体性放射性物質は放出されるでしょうが、多くのい
わゆる核のごみは溶けてその場で瓦礫の下にあるわけ
で、もともとが瀬戸物(セラミック)で出来ていて、
金属の管ほか、分厚い金属容器等々で囲われているの
ですから、全てがぺしゃんこになっても固体状の放射
性物質がうろうろと外に出てくることはできません。
まして、原子力発電所は非常に広大な敷地ですから、
これらからの放射線は周辺住民には届かないのです。
ほんの少しでよいので物理と力学、できれば耐震設計
について勉強してみてから発言してください。
知らないことを他人(電力や規制、マスコミ)のせい
にしていてもみっともないだけだと思います。
投稿: 機械屋 | 2007年7月28日 (土) 11時44分
どうも私の発言が誤解されている気配があるので一応。
>単に施工業者の腕が良かったからではありません
腕の話は誰もしていないと思いますが。見積もった安全強度をきちんと実現してくれていた、その良心的な建築結果に満足しているだけです。良心的な工事の前提には、当然余裕をもった安全強度の設計があるわけで、そのあたりはわかってますよ。表現の「粋」ってことでひとつ(あたしゃC先生の「粋」に乗っただけですが)。
>これらからの放射線は周辺住民には届かないのです。
言い過ぎでしょう。少なくとも広大な敷地+α程度が管理区域指定され、後処理のための緊急時作業者以外の立ち入りが禁止される状況にはなるはずです。放射線管理としては大変頭の痛い状況ですし、処理にはかなりの時間がかかることが想定されます。チェルノブイリはメルトダウンと共に爆発、放射性物質を広範囲に飛散させました。西側の原子炉であろうと、合金から発生した水素や冷却水による水蒸気爆発などを伴い、構造体の大規模な破壊が引き起こる可能性は否定されていません。
「何世代もの被害」が悲観的に過ぎるというのは賛成ですが、周辺住民には届かないと断言するのは楽観的に過ぎるというものです(「恐ろしく低い確率」の方なら同意)。
投稿: Tama | 2007年7月28日 (土) 13時18分
以前、安井至先生も
http://www.yasuienv.net/Risk3wNuclear.htm
で書いていたように、日本人の多くは放射線被害に関して誤解している人が多いですよねえ。「遺伝的影響、すなわち、子孫に奇形などの問題が出るという影響は、広島・長崎の研究からほとんどありえないという結論になっている」のに、未だに反原発派の人達は「原発事故は子孫代々に遺伝的影響を残すから、自動車事故とは比べ物にならない」などと言ってますね。
投稿: 金魚花火 | 2007年7月28日 (土) 15時11分
今回の揺れは想定の2.5倍と聞いています。この程度の地震で大きな被害が起きなかったのは当然の事で、自慢にも安心にも繋がりません。
設備の設計にあたり、想定されるリスクに対して2.5倍を超える安全係数をとる事などは、その辺りの普通の工場でも当たり前にしています。報道されたようにリケンの工場は1週間で復旧しています。
先にも書きましたが、問題はなぜ各地の原発が次々と想定を超える揺れにみまわれるかです。もちろん想定を超える揺れがごくまれに発生する事はありえますし、それに目くじらをたてる気もありません。しかし、こう度々想定を超える揺れが有るということは、想定を間違ったとしか考えられません。何かの理由でウソの想定していたのか、想定に足る技術が無いのかはわかりません。確かなのは、今の原発関係者にはまともな想定はできず、想定できない揺れに対しリスクを取ることは誰にもできないと言うことです。
過去の原発開発にまつわる不幸な経緯から、日本の原発は極めて歪んだ形で設置され運用されてきたと思います。これを改める動きが出始めた事は承知していますが、遅きに失したと考えます。いくつかの規制を見直したところで、最終的に安全を担保するのは人間です。一度身についた考え方はそう簡単には変わらない。歪んだ体制の下で育った人間が原発を運転する事は、地震以上に大きく管理不能なリスクと考えます。
上記の現実に目を向けるなら、日本人は原発を諦めるしかないでしょう。まったく不幸な話です。環境に関しては、別のアプローチを取るしかないというのが私の考えです。これもまた大変な話ですが、しょうがないでしょう。
投稿: アキラ | 2007年7月28日 (土) 16時15分
>実際には、きちんとした耐震設計で作られたり、硬い地盤に作られた建物は大地震でも大丈夫なわけです。
一般建物の場合、正確には、中小地震ではほぼ弾性範囲内、つまり無被害を目指し、想定した大地震では人命を損なわない程度の被害に抑えるという考え方です。そして、それ以上の地震では想定どうりに壊れた方が良いと私は思います。なぜなら、壊れ無いということは過剰設計ですから。
以上のように法律にも、出来るだけ人命を損なわないように段階的に壊れていくことを想定しています。
別に法規制がなくとも、一流の設計者なら、建物がどのように壊れるかまでイメージすると思います。そして、どの程度で壊すかということは、非常に重要なことですが、技術的に決めることではなく、リスク論的な考察などを参考に、社会的に決めることだと思います。
どの程度で壊すかは、建築に限らず、工業製品などでも当然考えなければいけないことだと思います。ところが、原発では「壊す」などと非常に言いにくいところが問題なのではないでしょうか。さすがに、最近は推進派の人も絶対に壊れませんなどとは言いませんが、これくらいなら大丈夫ですとしか言いません。そうではなく、この程度の被害が出ますが許容出来ますか、と問い、合意を得なければいけないわけです。確率的にそれを表現したのがリスク論ですね。
そして、リスク論で納得する人もいるだろうし、しない人もいます。私は後者だということとその理由は既に述べました。
投稿: zorori | 2007年7月28日 (土) 20時02分
Tamaさん
>表現の「粋」ってことでひとつ
特に悪意があったわけではありません。おっしゃるように設計が良かった(結果的に)ということであれば了解ですが、つい「施工業者」と聞くと現場で実際に作業をしている業者さんのことを指していると解釈してしまいました。
原子力に限らず、プラントメーカーが設計し、施工はその下請けの業者というのが一般的な形態だと思ったもので。
あと、「放射線が届かない」もおっしゃるとおりもう少し慎重な言い回しをすべきでしたね。少なくとも周辺公衆がばたばた亡くなるようなことは非現実的な想像だと思っています。
アキラさん
>確かなのは、今の原発関係者にはまともな想定はできず、想定できない揺れに対しリスクを取ることは誰にもできないと
「原発関係者」と一くくりにしていますが、原子力の耐震設計指針を作る際は、いわゆる地震工学や耐震工学の専門家が議論をしており、「原発関係者」といわれても彼ら自信、ピンとこないでしょう。また、プラントメーカーや電力の大多数の人間は耐震設計について専門家ではありませんので、「まともな想定はできず」はそのとおりですが、耐震設計は古来わが国の耐震関係者が知見を集約してきたものであり、その都度新たな考え方を取り入れ(原子力では非常に歩みがおそいというか保守的なようですが。例:免震なんて高層ビルではとっくの昔に実用化しています)てきていると認識しています。
むしろ、様々な工学的余裕をとっていることから、今回も詳細な結果を待ちたいですが、耐震設計上、壊れても良かったはずの部分が壊れていない、ということもあるはずです。
そういう意味では「想定できないリスク」の存在は工学者である以上ある程度はたいていの場合見込んでおり、具体的に定まらないから安全余裕を2~3倍などとしているのです。
これらをよく調べて、地震時の建物や機器の振る舞いをより正確に評価することができれば更なる耐震設計の向上につながります。
投稿: 機械屋 | 2007年7月29日 (日) 00時23分
「原発事故は子孫代々に遺伝的影響を残すから、自動車事故とは比べ物にならない」について
問題を過少評価したがる人はいつでもいるものでしょうが、遺伝的影響としては、継世代発ガンが一番大きな影響を与えるものでしょう。
つまり、ガン抑制遺伝子というのは多くの人に何十種類も?備わっているものですが、そのうちのどれかが放射線被曝によって子どもの代以降に伝わらなくなってしまうことで後の世代のガン発生率が高くなるという問題です。
投稿: SGW | 2007年7月29日 (日) 10時16分
>「原発事故は子孫代々に遺伝的影響を残すから、自動車事故とは比べ物にならない」
放射線汚染については問題が2つあり、それらをごっちゃにすると混乱するのではないでしょうか。
1、放射線に暴露することによる遺伝的な影響
これについては、暴露した当人への影響だけで、事故後に出来た子供にまで影響が出るようなことはないだろうというのが現在の専門家の意見のようですね。
広島、長崎、チェルノブイリなど、サンプルは結構な量があるのですから、この辺の知見は信用していいでしょう。
で、一般世論ですが、この辺の状況はまだ世間一般の常識になっているとは言い難いですね。
未だに電磁波を浴びすぎると女の子しか生まれなくなるとかいった説を信じている人は多いですから、ちょっとやそっとじゃ一般常識に浸透させるのは難しいでしょう。
ただし、原発周辺地域の住民へは、この程度のことはきちんと教育して理解してもらうべきでしょうね。
2、放射性物質の飛散による環境汚染
こちらは、実際に自動車事故や火力発電所の事故よりも原発不利でしょう。
メルトブローといった重大な事故に至らないとしても、放射性廃棄物が何らかの理由で飛散するようなことがあれば、かなり長い年月その地域は汚染されてしまいます。
土壌に浸透すれば(まあ海岸付近ならあまり問題はないかもしれませんが)地下水汚染などと言ったものもありますしね。
ただ、世間一般のイメージだと、「放射線」自体が残留するようなイメージを持っている人が多いのは問題でしょうね。
実際に残留するのは、あくまで「放射性物質」であって、放射線自体が残留するようなイメージは正すべきでしょう。(まあ本当に強い放射線を浴びれば、放射化によって残留するとも考えられますが)
この辺は、義務教育での科学教育不足かなとも思いますね。
情報リテラシーを構築出来る程度の基礎的な科学知識を与えるのは義務教育の大きな役目のはずなんですけどね…
投稿: B-51 | 2007年7月30日 (月) 12時18分
B-51さま
>1、放射線に暴露することによる遺伝的な影響
これについては、暴露した当人への影響だけで、事故後に出来た子供にまで影響が出るようなことはないだろうというのが現在の専門家の意見のようですね。
広島、長崎、チェルノブイリなど、サンプルは結構な量があるのですから、この辺の知見は信用していいでしょう。
これと
>未だに電磁波を浴びすぎると女の子しか生まれなくなるとかいった説を信じている人は多いですから
これって関係があるのですか?
何か、ごちゃ混ぜにしていませんか?
投稿: kensan | 2007年7月30日 (月) 23時03分
>これって関係があるのですか?
>何か、ごちゃ混ぜにしていませんか?
直接関係があるわけではなく、科学的な知識に明るくない一般の人の認識は、専門家の認識と大分温度差があるということが言いたいだけです。
「未だに狂牛病の全頭検査が必要だと思っている人も多い」と言い換えても良いです。
一応生殖細胞への影響という近さがあったので電磁波の方を使いましたが、逆に不適切だったかもしれませんね。
投稿: b-51 | 2007年7月31日 (火) 11時25分
>免震構造の可能性
免震は、自らある程度揺れることで振動のエネルギーを粘性により消費するのがパターンです。つまり、建物はある範囲で揺れなければならない。ビルのような一発箱物ならそれが絶大な効果と言えるのですが、プラント設備のような周辺との連結がある場合は導入が難しいのが現状です。連結設備のAとBが同時に同じ方向に揺れることは無いでしょうから。AもBもそれぞれ地震に翻弄されて好き勝手動くと連結が壊れたりね。この点では一概に古い体質と言い切るのもよくないと思います。
>原子反応についての教育
原子の仕組みを習うのは中学生になってからでしたっけ。電子がぐるぐる回っているという簡易モデルになってしまうので、これから発展して粒子の存在確率とか原子反応、放射線との相互作用なんかを義務教育で教えるのは時間的にも難易度的にも無理があると思います。
この手の話は突き詰めるとどこまで専門的=ちんぷんかんぷんになるかという問題があるんで、深く突き詰めない方が正解なのかもしれません。教育者の側には、そこまで深く突き詰めた上で対応を決めてもらわないとこまりますけどね。高校か大学パンキョーあたりですりあわせがうまくいけばいいのですけれど。
投稿: Tama | 2007年8月 3日 (金) 01時51分
>これから発展して粒子の存在確率とか原子反応、放射線との相互作用なんかを義務教育で教えるのは時間的にも難易度的にも無理があると思います
そこまで原理的な話をする必要は無いと思います。
量子暗号とかを説明するのとは違って、核反応なら表面的な事象だけを教えることも充分可能でしょう。
つまり、放射線とは何者か(α線、γ線…等々)、核分裂と核融合の違い、放射性物質の半減期の説明、放射化とはどういうものか、放射線の生物への影響、位を教えればいいんじゃないかと。
この程度なら、2~3時間も有れば充分(要約すれば30分でも)だと思いますよ。
投稿: B-51 | 2007年8月 3日 (金) 11時38分
>機械屋さん。
>そういう意味では「想定できないリスク」の存在は工学者である以上ある程度はたいていの場合見込んでおり、具体的に定まらないから安全余裕を2~3倍などとしているのです。
安全余裕(安全率、安全係数)とは、品質のばらつきや計算誤差を吸収するためのものではないでしょうか。これらは、不確実ですが、確率的に見積もることは可能なので、安全率も定めることが出来ます。しかし「想定できないリスク」はまさに想定できませんから、安全率をどの程度にするか決められません。実際の安全率は経験的に何となく決まってきたようなものかもしれませんが。
また、一般の建築物の「設計用地震力」は、現実に発生する地震をカバーするものでは有りません。人間が想定できる地震力が0~100だとすると、100というのは地表に露出した地震断層の真上に建物があるようなもので、設計しようがありません。そこで、現実的に対応可能なレベルを例えば10と取り決めしたものが「設計用地震力」です。この取り決めは技術的なものではなく、社会的約束事です。したがって、技術の発展や経済状況の変化などで、9から10という具合に変わってきました。しかし、最大地震100に安全余裕をみて、200~300にするなどということはありませんし、不可能です。
10を超える地震力は非常に稀だから、あきらめるというのが基本的考え方ですが、地震についてはよく分かっていないというもう一つの問題があります。10を超える地震力は稀ではなかったと分かってきたりします。そうなると、設計用地震力も10から11になったりします。
結局、原発論争で、取り決めに過ぎない地震力が加わっても安全余裕があるから大丈夫だという技術論を言っても、それ以上の地震が来たらどうするのだとなり、最終的に対処不可能な絶対安全を求められるだけです。
その取り決めで良いのか、即ちそれ以上の地震では壊れるけど許容出来るかという社会的合意の問題でしょう。
投稿: zorori | 2007年8月 3日 (金) 17時20分
原子力安全委員会は原子力安全白書の公表に当たり、「耐震安全については予断を持って当たらないことが肝要で、謙虚な学習的姿勢が肝心」とする異例の委員会見解を添付したそうです。
これは、今回の地震被害を踏まえた見解であることから次のような意味かと思います。
「耐震安全は発展途上の技術、あるいは未完成の研究分野であるので、「想定外」のことが起こりやすく、基準通りに作ったから壊れないなどいう予断を持ってはならない。」
これはだれへのメッセージなんでしょうかね。設計や施工を行う事業者へのメッセージだとすると、変です。予断の有無にかかわらず、彼らは現行基準どうりに設計し建設するしかないのです。設計施工者が予断を持たないよう注意したところで、何も変わらないのです。
このメッセージが意味を持つのは、基準を作る研究者やそれを認める安全委に対してです。彼らは、謙虚な学習的姿勢で基準を改善しなければならないとは言えるかもしれません。
あるいは、「耐震安全は未完成の技術なので、今後も「想定外」のことが起きるかもしれないので、そこんところわかってね」という世間一般へのメッセージと考えれば意味はあります。
また、白書の中では、電力会社や行政や安全委は、調査や審査に当たり、地震についての新しい知見を収集、反映して、耐震安全性の向上に努める必要があるとしているそうです。
つまり、研究しながら実用施設を作れと言っているわけです。例えれば、アポロ計画のような宇宙開発の段階で、商業宇宙旅行を実施している感じがします。
もちろんどんな分野だって完成した技術は少なく、発展途上の研究の要素はあります。ただ、そのような最先端知見を実用品に適用することはあまりありません。コンセプトカーと販売車はずいぶん違います。
最先端技術はまだ危ない面があるわけですが、安全のために危ない最先端技術を使いなさいと言わざるを得ないというのは、何か変では。
投稿: zorori | 2007年8月10日 (金) 21時12分