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2007年10月14日 (日)

10月14日:HP更新しました。

 これまで無視してきた「環境問題はウソ.....」なる本。とうとう「その2」まで出たもので、完全無視という訳にも行かなくなってしまった。しかし、その本は「買わない・読まない」方針なので、間接的なコメント書こうという態度で、今回のHPを作りました。

 日経エコロミーにも、話題は地球温暖化ですが、似たような態度の記事が掲載される予定です。

http://www.yasuienv.net/

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コメント

読まずに評価ってどういうこと?
がっくりきました。

所詮、ガラス研究者くずれ。
本業で何も生み出していない。
ご立派。

投稿: ばかじゃないの | 2007年10月14日 (日) 22時49分

↑みたいな完全匿名の意見には耳を貸さなくて良いと思うけど。

なぜ買わない読まない方針なのですか?「この本が受け入れられている」という現実から目をそむけずに、正面切って反論して欲しいです。

投稿: tera | 2007年10月15日 (月) 01時28分

「その2」に対する反論でなくても、反論めいたものを読みたくて HP におじゃましたのですが...

読んでも一般的な「市民」にわからない言葉を多く使い、煙に巻いているようにしか見えない。

学のない「市民」は相手にしていらっしゃらないようでがっかりです。

て...
勉強しろよ>じぶん
(^。^;)

投稿: Pyzar | 2007年10月15日 (月) 12時52分

ブログ等で著者の主張が分かっていれば十分では?
この人の場合、知識量の少ない読者への反省策的な煽りが中心なので、環境問題はそんなに単純ではないということを伝えるには十分と考えます。
わざわざ本を購入してあげる必要はないですね。

投稿: くろおに | 2007年10月15日 (月) 12時57分

変換ミスです。
誤:反省策的な
正:反政策的な

投稿: くろおに | 2007年10月15日 (月) 12時58分

>くろおにさん

> この人の場合、知識量の少ない読者への反政策的な煽りが中心なので、環境問題はそんなに単純ではないということを伝えるには十分と考えます。
そうなんですか。
わたし自身「環境問題はそんなに単純ではない」とは思ったので、「その2」あるいは「その1」に対する反論を読んでひとつめの取っ掛かりとしたかったのですが...
一般的な「市民」は相手にされていないのですね...
あきらめます。

ありがとうございました。

投稿: Pyzar | 2007年10月15日 (月) 15時32分

この著者に対してはこれまでにもここで何度かコメントされていますので、そっちが参考になるかもしれません。

http://www.ne.jp/asahi/ecodb/yasui/NoRecycle.htm
http://www.ne.jp/asahi/ecodb/yasui/RecycleDialog.htm
http://www.ne.jp/asahi/ecodb/yasui/EcoBTakeda.htm
http://www.ne.jp/asahi/ecodb/yasui/MisunderstandRecycle.htm

確かあの先生は価格が環境負荷の目安になる、という主張をされていたと思いますが、遡れば価格は全て人件費なんじゃないでしょうか?直接間接込みで人の触った時間で決まる、みたいな。

投稿: ととちお | 2007年10月15日 (月) 23時21分

Pyzarさま

「むずかしくて分からない」、とのことですが、何か疑問があれば、このブログに「具体的に問いかけ」をしていただければ、誰かが答えてくれる可能性が高いです。もしも、誰も回答しない場合には、私が回答を試みます。

あのHPは、第一段階の解説記事というつもりで書いておりまして、まさに一定程度の知識がある方むけのつもりです。より基礎的なところを説明しはじめると、文章量が半端でなくなってしまうので、とても現実的では無いからです。

第二段階、第三段階の解説記事というものが必要なのは分かってはいるのですが、ということで、実現できておりません。

したがって、具体的な疑問、例えば、「xxxに関しては、某氏の主張が極めて妥当のように思えるが、これはどこまで正しいか」、といったご質問をいただければ、当方としても省力化ができて答えやすくなります。

よろしく。

投稿: C先生 | 2007年10月15日 (月) 23時47分

>ととちおさん
わたしのような者にわかりやすいページをご紹介いただきありがとうございました。
なんとなくですがわかったような気がします。
とりあえず流して読んだだけなので、後でもう一度読んでみます。

>C先生さん
# わたしのネット上の流儀として「さん」づけで呼ばせていただきますm(_ _)m

先般はがっかりの度合いが強すぎて、無礼な言葉数々と書きましたことをお詫びいたします。
おっしゃることはよくわかりました。

とりあえず、ととちおさんにご紹介いただいたページから取り掛かって行きたいと思います。
また、並行して「その2」も読んでおりますので、わからないことがありましたらまた質問させていただきます。
その節はよろしくお願いいたします。

投稿: | 2007年10月16日 (火) 06時41分

「環境問題のウソ」という本は2006年4月2日のページで論評されていますが、今回の話題はそれではなくて、「環境問題はなぜウソが...」という本ですね。店頭で「その2」を見ている人は誤解しないと思いますが、念のため。

投稿: masudako | 2007年10月16日 (火) 10時48分

>Pyzarさん

>一般的な「市民」は相手にされていないのですね...
>あきらめます。

「知識量の少ない読者」とは、「疑問に思っても、それを解決するために自主的な情報収集を行わない人達」というつもりで書きました。今の知識量が少ない人を相手にする必要がないということではありませんので、誤解なさらないでください。
現在手持ちの情報量が少なくても、新しい情報を追加していけば良いだけのことですからね。

投稿: | 2007年10月16日 (火) 13時05分

>とちちおさん
>遡れば価格は全て人件費なんじゃないでしょうか

とのことですが、資源に関してはそうでもないんじゃないかと思います。
現在の人類文化では、資源(主に地下資源)には採掘権という概念があります。
まあ、基本的にはその資源が取れる土地を所有している個人なり法人なり国家なりが採掘権を握っているわけですね。
そして、資源価格は市場原理(需要と供給)で決まりますので、楽に採掘できる資源でも希少性が高く需要も多いものなら高く売れます。
また、結果的に取れるものが同じならば、採掘にコストが掛かる場合もそうでない場合も、売価はほとんど変わりません。

だからこそ、中東の産油国では大して苦労もせずに巨額の資産を有している人々が沢山いるわけですよね。

このようなことがありますので、「価格は基本的に人件費に帰結する」って考えはどうでしょうか。

逆に、同種/同クラスの普及製品(ブランド物など嗜好性の高いものではない大量生産品)であれば、製造に係わる手間隙は余り変わらない=製品価格に含まれる人件費は同程度となるので、使用している資源の量(エネルギー資源含む)と価格差がほぼ比例するともいえるかと思います。

まあ、企業間競争がありますので、結果的に資源に係わる価格差は平準化される(他社より多くの資源を使って似たような製品を作っていたのでは競争に勝てないので、結果的に同程度の資源使用量に落ち着く)ため、実際には同種/同クラスの普及品ではさしたる差は出ないでしょうけどね。

ちなみに、種別や生産地、クラス(品質等も含む)が異なる製品間では、人件費の差も大きくなるので、どこまでが資源量と比例するかはケースバイケースでしょう。

ハイブリッド車と通常動力車の比較なんかもこれに当たるでしょうね。
(実際にはハイブリッド-通常の比較だと、価格差の半分強くらいは使用資源量の差になるとは思います)

投稿: B-51 | 2007年10月17日 (水) 12時26分

>C先生:実は、この本を買っていない。読んでもいないのだ。
>A君:今回は、自分もその本を読んでいないので

「読んでもいない」のなら話題にもするべきではありません。
「読んでもいない」ならば、内容を批判すべきではありません。
「読んでもいない」ならば、本の題名を挙げる必要もありません。

このような態度が許されると考えるのは、甘えではないでしょうか。

少なくともアカデミックな態度ではありませんね。

ある意味、社会の「姿勢」を批判してきた方とは思えない態度です。

非常に残念です。

投稿: あらら | 2007年10月18日 (木) 23時19分

>あららさん

「読んでいないのなら話題にすべきではない」、これは、当然のことだとおっしゃっているようですが、そういう場合が多いでしょうが、この本のような場合には適用すべきでないと考えます。「内容の概略」はすでに分かっている、「論理の建て方」も分かっている、細かい記述について反論をするつもりはなく、その「内容の概略」と「論理建て」について、別の考え方を紹介するのが、HPに記述した意図です。

環境を専門とする人々の大部分は、この本を買おうとしておりません。買うこと自体が、この著者の意図に乗せられるからで、それ自体が不条理だと考えるからです。
専門家がいつでも正しい、と主張するつもりはありませんが、この著者の評価は大体そんなものです。

学術論文の場合と、この本の場合とでは、全く判断基準が違うのが当然のことだと考えます。

投稿: C先生 | 2007年10月19日 (金) 00時26分

>C先生

さっそくのお返事、ありがとうございます。
以下、雑感。

さて、この回答もとても「科学者」の態度とは思えませんね。
「わかっている」ためには「本を読む」という行為が必須です。

◆読みもしない本を批判するのは、不誠実な態度です。
◆こんな基本が理解できないのですか?

学術論文は読むが大衆本は読まないで批判してもOKですか?
「専門家」気取りは や め な さ い 。
「専門家」だ か ら こ そ このような不誠実な態度は認められないのですよ。

◆読みもしない本を批判するような態度は「専門家」の態度ではありません。

読まないのなら無視しなさい。>自称『専門家』へ。

投稿: あらら | 2007年10月19日 (金) 01時52分

私も「ある本の内容を批判するのに、その本を読まずに批判することはナンセンスである」ということ自身は、当たり前のことだと思います。

しかし、C先生の意図をよく読めば、C先生はその本の内容を直接批判しているわけでなく、

その本を書いた著者のそれまでの「環境問題に対する姿勢」や「論理構築」を一定の根拠でもって批判しているわけです。

そして、その同じ姿勢や論理構築の延長線上に書かれたであろう本(その2)に対して「間接的にコメント」しているわけですね。

すなわち、その著者のそれまでの姿勢をもとに「その本を買うべきではない」という意思表明をされているように私は捉えました。

敢えて追加するとすれば、専門的な学術論文であれば、新しい論文というものは、常に何か新しい内容(事実、発見、考え方など)を含んでいるべきであるということが根底にありますが、一般向けのその本(その2)に対しては、著者の姿勢からして「新しい内容は何もないだろう(少なくとも考え方は)」、というC先生の予断を含んでいるのでしょうね。

ですから、これ以上は平行線だと思います。

投稿: 麦麦 | 2007年10月19日 (金) 02時34分

>麦麦さん
>ですから、これ以上は平行線だと思います。

麦麦さん、こんにちは。(おはようございます)
さてこれが「平行線」になるような話でしょうか?

◆「他人の本を批判するなら、その本を読んだ上で批判することは、当然の基本。

このような基本事項が「平行線」になること事態が信じられません。そしてそれが許されるのは「専門家」だからなどという言い訳は到底認めることはできませんね。なんと傲慢な態度なのでしょうか。

いいですか、「専門家」を自称しようが、「素人」だろうが、他人を批判するならばその事実を確認しなければなりません。(科学者を自称するならば当然の態度です)

このような非常識な態度を、改めるどころか言い訳を始める態度には、遠山千春先生が↓お怒りになるもの、当然だと思いました。

http://www1.accsnet.ne.jp/~ct-home/pdf/9-Tohyama.pdf
(引用開始)
「事実でないことを勝手に事実であるかのように記載し、
それを前提に批判するのは、極めてアンフェアーなやり方です。
貴兄が科学者を自認されるのであれば、どうか、もっとよく表現を確かめられた上で、記載していただきたいと思います。」
(引用終了)

これは、投稿の後にネットで「発見」した抗議文ですが、このようなHPでの態度を見た後でこの抗議文を読むと、納得する部分が多いですね。

このような「科学の基本」に対して、「平行線」などありえないことを再度強調しておきますね。

ではでは。

投稿: あらら | 2007年10月19日 (金) 08時16分

こんにちは。

わたしは、まだ「その2」を読み終えていません。
また、「ととちおさんにご紹介いただいたページ」もまだ読み直していません。
# 今週末には何とか読みたいと思っております。
# そのため、数日間投稿を控えていたのですが、投稿させていただきます。

しかし、麦麦さんの以下のような言及が C 先生の本意であるならば、

> 敢えて追加するとすれば、専門的な学術論文であれば、
> 新しい論文というものは、常に何か新しい内容(事実、発見、考え方など)を
> 含んでいるべきであるということが根底にありますが、
> 一般向けのその本(その2)に対しては、著者の姿勢からして
> 「新しい内容は何もないだろう(少なくとも考え方は)」、
> というC先生の予断を含んでいるのでしょうね。

「市民のための環境学ガイド」は「市民のため」のものではないでしょう。

「専門家」が「専門家」の土俵で語るものは、「市民のため」のものではないからです。

「専門家」が一般的な「市民」の土俵に下りてきて、一般的な「市民」にも
わかりやすい易しい言葉でガイドするという意味で「市民のための環境学ガイド」と
名づけられているのではないのでしょうか?

一般的な「市民」は「専門家」になる必要はありません。
しかし、一般的な「市民」は「専門家」の知識の末端を得てかしこく生きる必要があります。

そのために、わたしは「市民のための環境学ガイド」を訪れたつもりです。

「専門家」が「専門家」として不必要な本を読みたくない気持ちはわからないでもありません。
でも、「専門家」が一般的な「市民」を啓蒙するためには、不必要な本を読む必要もあるでしょう。

「その1」や「その2」の内容がどんなに間違っていたとしても、
もし、麦麦さんの言及が C 先生の本意であるならば、
その時点で、一般的な「市民」にとっては「その1」「その2」のほうが有用なものとなるでしょう。
少なくとも、「その1」や「その2」は、一般的な「市民」の土俵まで下りてきているからです。

言葉が下手ですし言葉が足らない部分もあるでしょうが、時間がないのでここで失礼しますm(_ _)m

投稿: Pyzar | 2007年10月19日 (金) 11時24分

C先生の態度に対する批判が多いですね。

まあ、私もちょっと疑問は感じますが、C先生の考え方も解らなくはないです。

例えば、spamメールなどを考えてみるとどうでしょうか。
「spamを批判するなら、その内容やリンク先まできちんと見てから批判しろ」というのはナンセンスですよね。
だって、spamメールは理由如何を問わず、その内容やリンク先を「見させる」ことが主目的なのですから、批判のためとはいえそれをしてしまえば、発送者の思う壺だから。

私もこの本は読んでいないですし(こう書くと「じゃあ書くな」といわれるかもしれませんが、今はC先生の姿勢について話していますのでご容赦ください)実際、この本の著者の目的がspam的なもの(常識を覆すようなセンセーショナルなタイトルをつけてとりあえず買わせるというような方針)なのかどうかも知りません。

が、C先生はそのように判断したので、「敢て買わずに著者の姿勢や過去の著作内容から批判する」という方針に出たのでしょう。
その思考は充分理解できます。

ただ、冒頭でも書いたようにC先生の姿勢にもちょっと疑問は感じています。
それならばBLOGに「この本は買う価値無いと思う」程度のことを書く程度でよかったとは思います。
冒頭でも書いたように、わざわざ本記事にするほどのことでもなく、実際今回の記事は私も冒頭部分しか読みませんでした。
spamと違って本ならば、暫く待って図書館で借りるなどの方法もあるので、どうせならそういった方法で読んでから「内容を批判」して欲しかったですね。

投稿: B-51 | 2007年10月19日 (金) 12時56分

わたしも「環境問題はなぜウソ...」は店頭で見ただけで、読む気が起きないのですが、その要因は著者だけでなく出版社の態度のせいもあると思います。同じころに.「このままでは地球はあと10年で終わる」という温暖化脅威論の本も出しているのですよ。出版社が多様な思想を世に問うこと自体はいいことだと思いますが、それにしても、ほぼ正反対の意見をそれぞれ言いっぱなしの本を同時に勧められるものなのか。非常識なことを言ったほうが売れると考えて著者を挑発して書かせたように思えてならないのです。世の中の人に両方の観点をまじめに考えてほしいなら、もっとくふうした本のつくりかたがあるはずです。

ちなみに「環境問題のウソ」の本の場合、内容には同様な不満がありますが、出版社は(この本に対してはおそらく著者を信頼しすぎて失敗したと思うものの)全般的には信頼できるので、読んでもんくを言おうという気になりました。

投稿: masudako | 2007年10月19日 (金) 20時18分

あららさん
Pyzarさん

なにやら人生の規範について講義をいただいているようです。

「他人の本を批判する場合には、その本を完全に読んでからすべし。これは基本の基本であって、議論が平行線になることなど有り得ない」。

規範というものは、実際には、もっともっと柔軟にできているものだと思います。状況に応じて、変更することが十分可能であるために、様々な価値観がぶつかることもあり、それが人間の生き方だということだと思います。

さて、まず、他人の本を読みもせず、批判する本を書くと、場合によっては規範を犯している可能性があるかもしれません。しかし、ブログは多少違います。このブログというものは、双方向性のあるメディアであって、そのために、「某著者と異なった意見を提示するから、どうしてもそのウソの本の論理の方が正しいと思えるなら、具体的な質問という形で疑問をぶつけて欲しい」、いう提案が可能です。今回、それをしている訳で、これは規範を犯していることにはならないと考えています。

いずれにしても、規範的かどうか、という議論は時間の無駄です。その本と本HPとの内容の違いを議論することによって、単に、真実に迫ることができるだけでなく、その規範を犯していると思っておられる状況そのものが改善されるのです。是非、ご両名からの具体的な反論なり疑問の提起を期待したいと思います。

「専門家」という意味も誤解をされているようです。専門家とは、自分で「専門家です」、と言えるようなものではないのです。ある人がある事柄の専門家かどうかは、その周辺の類似した人々がなんとなく合意しつつ決めるものなのです。客観的にみれば、専門家だと周囲が言うような人は、(1)知識の質と量が並みではない、(2)その知識に基づく判断に妥当性が高い、(3)その知識を良い方向に使おうとしている、といった条件があるように見えます。

そして、残念ながら、その本の著者は、環境の専門家として認知されておりません。

「市民のための。。。」につきましては、すでにPyzarさんのために提案をしましたが、分かっていただけないようで残念です。

さて、本を買わないことがそんなに大きな問題なのですか。個人的に本を買わない理由は、より直裁的に書いてしまえば、こんな訳です。

先日、毎日新聞の某記者と、この著者について雑談をしました。その記者が言うには、「その著者は、『今回の著作で4000万円の所得を得た』と言っていたそうだよ。考えてみると、世の中意外とチョロイのかもしれない」。

2冊の本を買わないと、200円ほどの印税が某著者の手元に行かないことになります。某著者にとっては、どうということは無いでしょうが、こちらにとっては、重大な抵抗手段です。

もしも、専門家というものの定義を「それで商売をやっている人」とでもすれば、某著者は、日本で最高の環境の専門家でしょうね。

投稿: C先生 | 2007年10月20日 (土) 00時55分

「環境問題のウソ・・」の話が,「市民」に対する「専門家」の話に変わっていますね.もしあの記事が「書評」なら確かに「読まずに書く」のはおかしいですが,あの記事は著者のそれまでの発言や考え方,特に「費用」で「環境負荷」を一元的に測れるか,といういささか無茶な主張に対する批判ですから,本来なら本そのものの話ではなかったと思います.ただ,「本を読まずに本を批判するのか」というコメントは出るだろうな,とは思っていました.

Pyzarさんは「市民」として求めるものが「リサイクルは是か非か,結論だけほしい」というなら,確かに「その1」はダメだ,と明言はしています.C先生は-私も環境に多少関わるものとして同じですが-「是か非か,という一元的な断定はできないし,それ自体が危険」から,「全部を少しずつ改良するためどこで折り合いをつけるか皆苦労している.市民の方も一緒に苦労してください」という答え方をしているわけです.

著者も費用と環境の競合は分かっている,と思われるのは,2006年1月のエネルギーシステム・経済・環境コンファレンスで,JFEホールディングスの方と連名で詳細かつ定量的な分析をされ「容リプラのガス化再商品化事業の経済性,環境負荷の評価」という報告をされており,その中で「単純埋め立てよりガス化,焼却発電でリサイクルしたほうがエネルギー消費,CO2排出とも削減できる」こと,また「容リプラ処理費はケミカルリサイクル費とほぼ同程度」,と述べておられるためです.つまり費用はかかるが環境負荷は下げられることを明言されています.

そのため,最新の日経Ecoの記事のように,相変わらず「コストがかかるからリサイクルはだめだ」というのは,かえって「市民」には別のことを言っているのではないか,と疑ってしまうのです.

投稿: 森のおじさん | 2007年10月20日 (土) 15時40分

C先生詭弁にしか見えませんが・・・。

反発喰らってるのは
内容よりも本を読まないで批判していることですね。

サイトを読めば本を読まなくてもわかる、という
C先生の発言は「傲慢」に見えますよ。
本来、研究者というのは、その逆を行くものでは?

書かれている内容ではなく、その傲慢な態度に
わたしはとても引っかかりました。
わたしが深く尊敬する
ファインマンさんなら、絶対にあり得ない態度だとね。

もちろん、売り上げに貢献したくない、と
いうのは分かります。
でも、C先生が1冊買った買わないは大きな問題じゃない。

むしろ、手順(本を買う・読む・そして批判)を
きちんと踏まれることで、その批判はより力を持ちますし、
そうした無意味なところで引っかかりがなく、
説得力有る内容の記事が書かれれば
結果、本を買う人が少なくなり、効果的。


科学は手順が大事ですね、
批判も手順が大事という話。
それを遵守するかいなかは、人としての誠実さの問題。
それがいささか欠けて見えるから
内容とは違うところで批判を受けているだけの話。

それを理解されています? というコメントでした。

手順を無視することのリスク評価、間違っているのでは。
それをリスク評価の専門家に指摘するのもなんですが。

投稿: 山本山 | 2007年10月20日 (土) 16時47分

それほど推敲を重ねるわけではないブログですから、筆が滑ることもあると思うんですよね。それを突っ込まれたときには、謝っておけば別に評判は落ちないのじゃないでしょうか。

「あいつの意見は聞かなくても、間違っていることぐらい分かる」

これでは意見の批判ではなくて、人格攻撃ですよ。

専門家がしっかりダメな本を読んで批判すれば、一般人は無駄が省けて助かります。それが専門家の役割だと思うのですけど。C先生の印税を進呈したくないという望みも、その方が効果的だと思いますが。

専門家としての立場をはなれ、個人として俗人的評価をするのは勝手ですけど、多くの人の目に触れるネットで発信しているのは、他の人に読む価値が無いと伝えたいからでしょう。他の人にも読んでほしくないのであれば、自分が読まないとダメでしょう。

B-51さん、spamメールと本は違うと思います。
spamメールは内容の問題ではなくて、情報発信の仕方が問題なのではないでしょうか。
spamメールは勝手に大量に送りつけられるから迷惑ですけど、本は自分から能動的に読むものですから。

>しかし、ブログは多少違います。このブログというものは、双方向性のあるメディアであって、そのために、「某著者と異なった意見を提示するから、どうしてもそのウソの本の論理の方が正しいと思えるなら、具体的な質問という形で疑問をぶつけて欲しい」、いう提案が可能です。今回、それをしている訳で、これは規範を犯していることにはならないと考えています。

C先生はブログの読者とそのウソの本2の論理について議論したいのでしょうか?ご自分では読まずに、どうして論理について議論できるのでしょうか?議論が可能なのは、ウソの本1までの論理と「読まずに批判することの是非」しかないと思うのですけど。

憶測なので間違っているかもしれませんが、ブログの読者は疑問をぶつけてほしいというのは、あと付けの理由に見えるんですよ。単に某著者が許せないだけではないでしょうか。それを書くのは別にかまいませんが、新著のことまで書いたのは余計だったのでは。失礼しました。

投稿: zorori | 2007年10月20日 (土) 18時46分

なんだか本来の某著者の主張に関する議論ではなく、別方向に行ってしまったのが残念です。それにしても、なぜ某著者のようなビジネスが評価されるのでしょうか?非常に歯がゆいです。

投稿: chari | 2007年10月20日 (土) 19時08分

たびたびすみません。

本を買わないという抵抗手段について考えてみました。悪い奴が金儲けしているのは許せないというのは自然な感情だと思います。しかし、日ごろ悪い奴でもまっとうな手段で金儲けするのは問題ありません。それまで許せないとなると、ひがみや妬みに過ぎません。

C先生はそんな小人ではなく、もっと大所高所から対抗手段を考えていらっしゃると思います。それは、間違った内容の本で金儲けできるとなると、世の中には間違った知識がはびこるということかと思います。それは断じて許してはならない。つまり、金儲けが悪いわけではなく、間違った本が許せないわけです。

となると、環境の専門家たるC先生には是非とも本を読んで(買わなくても)批判して頂くのがよろしいかと。よろしくお願いします。

罪を憎んで、人を憎まず。
坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い。

投稿: zorori | 2007年10月20日 (土) 19時53分

「その2」は読んでなくて、C先生の記事も精読はしてないので非常におこがましいのですが、

あの記事は「その2の批判」をしているようには見えませんでした。
初めから、批判の対象を過去の本や発言に限定しておいて、「今回の本も大筋では変わってないだろう。だから読まない」だったらよかった(=「その2」の批判にはならない)のではないでしょうか?それでもダメでしょうか>科学者の皆様

結局のところ、C先生の今回の記事を「その2」の批判として見た場合、的を射ているのでしょうか?的外れなのであれば、それをもってC先生への批判とするべきなのではないでしょうか。C先生は「以前と変わってない」と推測されたわけですが実際には変わったのかもしれないし。

これは「結果論」であり、議論上は枝葉に属する部分ですが実質的にはそこが重要なんじゃないでしょうか。それを押さえていないと、議論のための議論になってしまいます。

読まないなら無視すればいい、とどなたかが書いておられましたが
僕も「読みません。以上」(で、全くの一般論としてあの記事をアップ)でよかったんだと思います。


投稿: ととちお | 2007年10月20日 (土) 22時46分

これから先は、老婆心からのご忠告と、今後の対応に関するご相談です。
 「×先生」は、余りにも無防備です。そのような無防備な状態で、公衆の面前でご意見を述べられたり、あるいは、公開のHPでの戦いを行うのは危険です。もっと慎重に、かつ学問的な正当性だけを主張するのではなく、社会的にみて良心的なスタンスをお取りになるべきです。
 まあ、好意的に見れば、まじめすぎるのではないですか。ただし、一市民としてまじめなのではなく、ある学問分野の閉じた世界の中でのまじめさだとは思いますが。「略」
 最後に、「×先生」の他人の批判のやり方はやや独断的にすぎます。敵をわざわざ作るようなものです。そして、他人の批判を全く自らの糧に変えることが出来ない方のようです。今回の様々な表現は、一般市民社会が、「×先生」の人格を理解することができますので、プラスかもしれませんが。
 加えて最終的な確認です。
 この強い表現をそのまま掲載したのでは、総合科学技術会議、内閣府、環境省、さらには、財務省、このすべてを敵に回します。本当によろしいのですね。まあ、ダイオキシン、環境ホルモン関係の研究費の獲得は、当分の間、科研費による研究費以外は、まず望み薄ですから、同じことかもしれませんが。 「略」
 そもそも、最初のメールでご説明したように、公開の場で行われた不適切な表現は、批判されるのがむしろ当然なのです。まあ、そのときには、余り強い疑念を持っていた訳ではないので、「いずれにしても」と一般化した上で、余り直裁的ではない表現にいたしました。「×先生」がこれでなんらかの不利益を蒙るとは思えない表現です。
 ただ、「×先生」の過去については、むしろ信頼していたという表現を加え、今回のHPの表現だけを問題にしたいと思います。

◆以上、http://www1.accsnet.ne.jp/~ct-home/pdf/8-Yasui.pdf において「遠山清美」氏が公開されております「安井至」氏より「遠山清美」氏への真摯なメールより引用させていただきました。
◆また、「」内部分は「遠山さん」と入るべきところを、投稿者が「×先生」と置き換えさせていただきました。ここに報告するとともに、お詫び申し上げます。
◆このため、各位におかれましては、是非原文をご確認の上、ご判断いただきたくお願いいたします。遠山清美教授(東京大学大学院 医学系研究科)HP:http://env-health.m.u-tokyo.ac.jp/member/index.html
       以上

投稿: あらら | 2007年10月21日 (日) 01時34分

■訂正とお詫び

前回の私の投稿(2007年10月21日 (日) 01時34分)において、遠山教授のお名前に誤りがございました。
ここに訂正させていただくとともに、お詫び申し上げます。

遠山千春 教授
東京大学大学院 医学系研究科
疾患生命工学センター 健康・環境工学部門 教授
http://www1.accsnet.ne.jp/~ct-home/


投稿: あらら | 2007年10月21日 (日) 01時48分

ととちおさん、

>あの記事は「その2の批判」をしているようには見えませんでした。
初めから、批判の対象を過去の本や発言に限定しておいて、「今回の本も大筋では変わってないだろう。だから読まない」だったらよかった(=「その2」の批判にはならない)のではないでしょうか?それでもダメでしょうか

同感ですが、以下のくだりは余計でしょう。反発は当然と思います。

>なぜならば、「読む価値の無い本は読むだけ無駄だから」。大体の内容は、過去の本の主張から分かっているし、ホームページなどから、最近の主張も大体分かっていて、この著者が、読者の知力・判断力を馬鹿にした確信犯であることは確認済みである。

勢い余って書きすぎただけなら撤回して、その後に書いてある一般論の議論に誘導すれば良かったんですよ。それが本来の主張のはずです。chariさんのおっしゃる別方向に言ってしまったのは、C先生のフォローがまずかったんだと思います。

無礼なことを申し上げますが、C先生は間違いをあまりお認めにならないような印象を与えていると思います。他の件でも。

投稿: zorori | 2007年10月21日 (日) 09時56分

日曜なのにいささか不愉快な話題で失礼します。

あららさんの努力によって、遠山先生にまでとばっちりが行ってしまいました。これまで「遠山先生の名誉のため」に、この件にはコメントをしていなかったのですが、疑問に思われる方々のために、こんな状況ですので、ちょっとだけ。

この引用されている文章は、ウクライナ大統領の暗殺未遂?事件に関して、テレビで遠山先生が使った「『サリンの数倍』の猛毒ダイオキシン」という表現を本HPで非難したところ、遠山先生から内容証明の信書を受け取ったこと始まったもの。

意見を交換して私のHPで公開しようという合意だったのですが、その過程で、私信として送ったものが、あららさんがご親切にも公開してくれた部分。ところが、遠山先生は、発信者が私信として送られたものであったとしても、受け取った側としては私信とは認められない、だから公開すべきだと主張。このような判断は、ご存知のように、すでに法律的にも決着していることで、発信側が私信であるかどうかの選択する権利があるが、刑法上の脅迫行為にあたる内容の場合には受信側にも公開する権利がある。すなわち、この私信の部分が、遠山先生は刑法上の脅迫行為に相当すると言って、公開すべきだと主張。結局のところは、「両者合意して、すべてを公開しないことにした」。にもかかわらず、遠山先生は、なぜか自分のHPで、自分の都合の良い部分のみを公開してしまった、という経緯。

実は、そんな訳で公開されているのは前半部分のみで、法律論争をやっている後半部分は未公開。当方としては、対策を講ずることも考えたのだけど、もし本気でやると、遠山先生の名誉に関わる結果になりそうだったし、こちらとしては個人的には別段の不都合も無かったので、放置。

こんな状況。

これも公開する予定はなくて、墓場まで持っていくつもりだったのだけど、実を言えば、話題の某先生からも、はじめて話題になったころだが、本HPの内容について内容証明の信書を受け取ったことがあって、それ以来、どうしても近づきたくないという人物になっている。これも本を買わない理由。その割には、その後、一回対談をしたこともあるが、当然、議論は全くかみ合わなかった。

あららさんは、こんな事情を知るわけも無く、本を買わないというつまらない一点に固執し、内容の議論は一切受け入れない。某先生と遠山先生は、公開のメディア、本あるいはテレビで発言した内容を批判されると内容証明の信書を批判者に送るといった性格。この三名は、お互いに似たもの同士で良いお友達になれるのでは。

投稿: C先生 | 2007年10月21日 (日) 09時56分

わたしとしては C 先生と他の先生方の過去の確執がどうであれ、それに関するいかなる真実も事実も知る立場にはありません。
また、 C 先生としては断固「その2」を読まないという気持ちでいらっしゃることも理解しました。
# 念のためですが、先生の「感情」として理解したということです。

わたしとしては、これ以上空転する議論を続けても仕方がないと思います。
そして、また、それは C 先生の本意ではないと察します。

さて...
「ととちおさんにご紹介いただいたページ」を拝見いたしました。
正直言って、素人としてはわかりにくい言葉が多かったため、理解していない部分もあるかとは存じますが、
そのあたりにつきましてはご教示いただけると幸いです。

「ペットボトル」については「リサイクルを強制することによって、容器の材質転換を狙う」というお考えのようですが、
これは、実現可能なのでしょうか?
「ペットボトルtoペットボトル」という前段階において、当然のように、業界においてはコストが拡大するはずです。
現状、コストを下げる(維持する!?)ことが出来ないという理由で「形骸化された定価」が値上げされている商品も存在します。
このような状況下で、経済界はコスト増となるような法案が国会で承認されることを黙認するでしょうか?
また、さまざまな偽装問題により一般的な「市民」は、企業を信用しなければ生きていけない状況にあります。
端的に言えば信用できないのですが、信用できないから買わないというわけにもいかないというのが正直な気持ちです。
そのような状況下で、一般的な「市民」は「ペットボトルtoペットボトル」という考え方自体を容認できるでしょうか?

そう考えた時、武田さんの「ペットボトル焼却」は一般的な「市民」にはとても現実的で斬新な考えに見えてしまうのです。

しかし、わたしは C 先生の
> ペットを焼却して良いという結論にすると、いくらでもペットボトルを作って燃やせば良いことになる。
> これは、環境を悪くする最悪のシナリオだということが認識されていないように思う。
> やはり、全体として環境負荷低減に向けた整合性が取れた考え方であるとは思えない。
という考えには賛同いたします。

「ととちおさんにご紹介いただいたページ」は、 C 先生が 2000年あるいは 2001年にお書きになったものと思われます。
現状、 C 先生は「ペットボトル」についてはどのようなお考えをお持ちなのでしょうか?

投稿: Pyzar | 2007年10月21日 (日) 12時27分

著者態度(姿勢)の批判なんだから、「読まずともわかる(もちろん細かな内容のことではなく)」が充分ありえるのは、そこそこ人生を生きてきた方なら、それこそ「わかり」そうなものだけどなぁ。まぁ大体の感覚として。(少なくとも能動的に本を読み続けている者においては充分成り立つと思うぞ)

今回の著作のタイトルは、明らかにかつての『リサイクル幻想』の延長上にあるのだから、大まかな姿勢変更(転向)が認められないのは間違いないのですし。

たとえば極端な例で言えば、細木数子氏のテレビでの姿を見て、その著作を読まずしてダメ・デタラメとするのはそんなに不当なものか?まあこれは極端にすぎる例かもしれないが。

あと、過去の池田大作氏のように出版差し止めに動いた、というならえれぇこっちゃですが、そんなことは起こされていないのですし(まぁそりゃそうか)。まぁ批判行為としてどうか、ということなのだけど、とりあえず圧力なりを含んだ“読まず批判”なわけではないのだし。

ついでに言うと、あんまり専門家の態度だの何だのと、こだわらないでほしいですね。大げさに言ってしまえば、(武田氏にしろC先生にしろ)ここで問われるのは専門家としてどうだではなくて、それ以前の、生き方の態度のことでしょう。そりゃ学術論文なり学会発表レベルでは手続きとしてやっちゃいけないでしょうが、ここはそういう場か?批判手続きというのは、どこであろうが常に画一的に定まっていなきゃいけないものか?

本だけが物体としてポツーンと、それこそ著者自身からも切り離されていると考える(思い込む)のならともかく、批判というのはそう一様のものではないと思いますがねぇ。

投稿: 原口 | 2007年10月21日 (日) 16時20分

 C先生が本を読まずに批評したことについて、次の二つの書き方があり得ます。

1.本を読んでいないことを明言して批評する。(今回のC先生の書き方)

2.本を読んでいないのに、読んだふりをして批評する。

 私は、2は許せませんが、1は場合によっては許容できると思います。1の場合、読者は、C先生が本を読まずに批評していることを知っているわけですから、その前提で読めば良いのです。本を読んでいないのですから、C先生の書いていることは、今回の本の批評としては間違っている可能性があります。しかし、同じ著者の過去の本の主張に対する先生の考え方を知ることができます。そういう考え方で読めばよいのではないでしょうか。
 

投稿: はりぼう | 2007年10月21日 (日) 17時00分

詭弁は明確に確実に「あらら」さんの方。
政府でもない一個人が公正無私に論ずる義務などどこにも存在しない。本人の主観を述べるだけで十分。その人の論が誤解なり無知なりがある場合は、社会的な公正性は、「その人の論ずる姿勢」ではなく「具体的個別的な誤りを指摘反論」する権利によって担保される。
よってあらら氏は、「C先生に対して論ずる姿勢を押し付ける」ような誤った行為は即刻止め、C先生の「「その2」批判」が具体的個別的に誤っている所を指摘反論」すべき。
いずれにしろ、批判する時に読んで批判する方法を取ろうが、読まずに批判する不法を取ろうが、その方法自体をどうこう言われる筋合いも強制される筋合いも無い。読んでるけど馬鹿丸出しの批判(「C先生に対して論ずる姿勢を押し付ける」ような)より、読まずともクリティカルな批判をすることの方が世のため人のためである。

投稿: X | 2007年10月21日 (日) 20時03分

Pyzarさん

 やっとのことで、内容についての議論ができるようになりました。

 ペットボトルのリサイクルの現状をどう思うかですが、昨日20日、北九州市で、ペットボトルのリサイクル事業者の方と数年ぶりに偶然会いました。というよりも、その方がわざわざ公開シンポジウムの会場まで会いに来られました。

 そこで、最近の状況と主張が書かれた文書を受け取り、その内容について、これからメールで議論をするところです。ちょっと見たところ、某先生に勝てるような論理にはなっていないようなので、そのあたりの実情をもっとしっかりと把握したいと思っているところです。

 二週間後のHPの記事にする予定ですので、しばらくお待ち下さい。

投稿: C先生 | 2007年10月21日 (日) 23時21分

>zororiさん

むしかえしてすいませんが、一応自分の書いたコメントへの補足だけ。

私がspamと対比したのは、今回の問題の本のビジネスモデルみたいなものです。
先にも書いたとおり読んでいないので内容は詳しく知らないのですが、題名や書評を見る限り「わざと常識とは真逆なこと(タイトル)を言ってとりあえず興味を引き買わせる」って部分ですね。

「spamは読まず(特にリンク先は見ないで)に廃棄した方がいい」って言う理由もspamの特性を考慮した上での話ですよね。
spamを送れば集客効果が得られるとなれば、それが蔓延ることになりますから、それを防止するためには引っかかる人が減ることが肝要であるということです。

今回のような本も、こういった売り方で本が売れてしまうと、後からマネをする人がどっと増えてきます。
それを防止するためには、「内容如何を問わずこういった売り方の本は買わない」という姿勢がありうるだろうという意味でした。

投稿: B-51 | 2007年10月22日 (月) 12時58分

>B-51 さん
ちょっと気になったのですみません。

「わざと常識とは真逆なこと(タイトル)を言ってとりあえず興味を引き買わせる」というのは少し違うように感じます。

環境問題について少なからず興味を持っている一般的な「市民」にとって、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」というタイトルはまさに「わが意を得たり」という気分なのです。

たとえば、レジ袋削減...
確かにレジ袋を削減するのはいいことです。

ちなみに、わたし自身はレジ袋削減が推進される以前より、自分が再利用できないレジ袋は断り続けていました。
それは、自分の家のゴミを増やしたくないからです。
そして、持ち帰ったレジ袋は自宅のゴミ箱を汚さないための袋として再利用しております。
当然、そのゴミ箱用のレジ袋は著しく汚れない限り再利用しています。
また、学校や保育園などは、当然のように子どもたちの親から定期的にレジ袋を集めます。
レジ袋の再利用は庶民の生活の中で欠かせないものになっています。

なぜレジ袋だけなのか?
一般的な「市民」にはそれがわかりません。

魚や肉や野菜や果物の過剰包装!!
それが気になる主婦たちはレジを通り抜けてから、店内用の買い物カゴからレジ袋に移すテーブルのサイドに備え付けてあるゴミ箱に過剰包装を捨てて、テーブルの上の無料のビニール袋に詰め替えるのです。
わたしとしては、各家庭のゴミ削減だけのためにそれをするのはただ自分勝手のような気がするのですが...

で...店の対応はどうなのか...
先も書いたようにテーブルサイドにそのためのゴミ箱が置いてあったりします。
魚や肉などは過剰包装してあるにもかかわらず、汁が垂れることがあるため、テーブル上の無料のビニール袋は顧客への必要なサービスとなっているようです。

確かに過剰包装とは言え、魚や肉などの多くの包装はトレーとラップのみです。
そして、このトレーとラップによる過剰包装によってスーパーなどは人手を省き大量の商品を販売します。
その結果、確かに一般的な「市民」はより安価な食材を手に入れることが出来ます。

しかし、このトレーが一般的な「市民」にとっては問題なのです。
トレーは一般家庭では再利用できません。
極まれに、学校や保育園などでリサイクル工作に使うからと要求されるくらいのものです。
# この「リサイクル工作」などというばかげたことはさっさと止めるべきだと思っています。
# リサイクルできるものに色を塗ったりボンドを使ったりする工作は、リサイクルできるものに
# 不純物を混ぜる「反リサイクル工作」だとわたしは思っています。

さて、このトレーにはリサイクルできるものとリサイクルできないものがあるようです。
白色の無着色トレーはリサイクルできるようで、お店に回収箱が設置してあったりします。

なぜレジ袋だけなのでしょうか?
なぜトレーはリサイクル可能な白色の無着色トレーだけが使われないのでしょうか?
なぜ、包装が不必要な果物や野菜までがトレーとラップによって過剰包装されるのでしょうか?

一般的な「市民」にとって、レジ袋削減は、「環境問題」に名を借りた企業のコスト削減の一環にしか見えません。
しかも、それは改正された「容器包装リサイクル法」という後ろ盾によって守られているのです。
そして、一般的な「市民」はレジ袋削減が完全に実施されれば、レジ袋に代わるものを購入しなければなりません。
# 極端な言い方をすれば「レジ袋削減」に象徴される「容器包装リサイクル法」は、
# 一般的な「市民」にとっては SPAM でしかないかもしれません。


「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」
それは、一般的な「市民」にとってまさに「わが意を得たり」という ”常識的なタイトル” なのです。

投稿: Pyzar | 2007年10月22日 (月) 16時14分

>C先生
# 「先生」の後に「さん」を付けるのも日本語として変なので、
# 今後「さん」は省かせていただきます。
# 毎度、一方的ですみません。

> 二週間後のHPの記事にする予定ですので、しばらくお待ち下さい。
楽しみにしております。
よろしくお願いいたします。

投稿: Pyzar | 2007年10月22日 (月) 16時55分

>Pyzarさん

著者の方がどう思っているかは解りませんが、出版社は確実にそう思っているんじゃないですかね?

> 一般的な「市民」にとって、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」というタイトルはまさに「わが意を得たり」という気分

まさにここが「商売上のポイント」なのではないでしょうか。
「自分は他の人より運がない」と漠然と思っている人が「前世のカルマが貴方の運を食いつぶす!」とかいったオカルト系の本を見たら思わず見てみたくなるのと一緒ではないかと。
spamだって、多くの人が共通して持っている漠然とした期待を突っつくようなタイトルや売り文句を使っていますよね。
まあ、広告業界やマスコミってのは基本的にこういう傾向なんだといわれればそれまでですが、それが行き過ぎていると感じたならC先生のような批判のやり方もありうると言う話しです。

ちなみに、今回の本ですが「環境問題の真偽について再考する」なんてタイトルだったら、内容がまったく同じでもまったく売れなかったでしょうし、話題にもならなかったのではないでしょうか。
C先生が実際どうなのかはわかりませんが、もしそういった「地味な」タイトルなのに話題になったのだとしたら、C先生も読まずに批判という行為には出なかったのではないかと思います。

ちなみに、レジ袋(特にレジ袋税とか)に関しては私もスケープゴートだと思っています。
割り箸の話題のときも、私はスケープゴートっぽいという意見を支持しています。
#ここで詳しく書くと長くなるので書きません

ですので、スタンスとしてはPyzarさんと私は結構近いところに立っていると思います。
もちろん、環境問題の専門家な訳ではありませんしね。
#マイナスイオンに疑問を感じて天羽さんのサイトからこちらを知ったくちです

投稿: B-51 | 2007年10月22日 (月) 20時07分

>B-51 さん

> spamだって、多くの人が共通して持っている漠然とした期待を突っつくようなタイトルや売り文句を使っていますよね。
その通りかもしれません。
けれど、仮に、某書がもし spam であると断定することが出来たとしても
# 現状、わたし自身は某書を一方的に spam であるとは断定しませんし、
# いささか某書寄りの考えを持っているかもしれません。
某書を spam 呼ばわりすることに意味はありません。

この spam は受信者に直接被害を与えません。
この spam は受信者の知らぬままに受信者をボット化して他所を攻撃するだけです。
廻りまわって受信者に被害を与えることになるかもしれませんが、その時、受信者はそれを spam による被害であるとは思わないでしょう。
# 重ねて言いますが、わたしはいささか某書寄りの考えを持っているかもしれません。
# わたしは、現状、某書を spam だとは思っていません。

受信者に直接の被害を与えないかぎり、そしてそういった症例が数多く発表されない限り、 spam 認定に意味はありません。
# それでさえも、実際、直接に被害にあわない限り変な自信を持っている輩もいます。

この時、「spamは読まず(特にリンク先は見ないで)に廃棄した方がいい」と一方的に言っても意味はありません。
受信者に直接の被害を与えない以上、受信者がボット化されることによって、ネット上にどのような被害が蔓延するかを、実例を示して説明するしか方法はないと思われます。

そのためのひとつの方法として、わたしは空転する議論に見切りをつけただけなのです。
つまらぬわたしの拙論ですが、わかっていただければ、幸いです。

投稿: Pyzar | 2007年10月22日 (月) 21時02分

>Pyzarさん

まず断っておきますが、私は別にPyzarさんの意見を否定はしていません。
ただ、C先生のやり方も「理解は出来る」(けどもうちょっと他のやり方/書き方が好ましい)と言っているだけです。

それに、私は某書がspamだとまでは言っていません。
「販売手法にspamと似たところがある」
ってだけのことです。

ただ、(以降は個人的な感覚に過ぎませんが)その部分こそがどうにも気に食わないってところでしょうか。
個人的には、こういった販売手法だと、それだけでspamや似非科学系健康グッズ・省燃費グッズなんかと同じような感じに見えてしまうんですよね。

と言うことで、概ね(当初のコメントを)補足できたかと思いますがどうでしょうか。
特に大きな誤解や疑問点が無いようなら、この件についての私見はこれくらいで打ち止めにしておきますね。

投稿: B-51 | 2007年10月23日 (火) 02時45分

>B-51 さん
B-51 さんの考えは概ね理解したつもりです。
わたしの拙い考えの吐露にお付き合いいただきありがとうございました。

投稿: Pyzar | 2007年10月23日 (火) 05時46分

こんにちは。
すいません、お返事が遅れまして。

先にいただいたお返事の中で、私のような小者を「高名なお二人の学者先生」と並べていただきましてありがとうございます。

「C先生」からのメールをネットで公開されている遠山先生に、とばっちりが行くことご心配のようですが大丈夫ですよ。遠山先生がそんな心配をされているならば、そもそもネットで「C先生からのメール」など公開してないでしょうから。

遠山先生はそんな小事(予算がどうのとかいう脅迫)よりも、学者(人)としての姿勢を優先されていることが良く分かりました。学者としてりっぱな態度だと思います。

また、大の男が一度「墓場まで持って逝く!」と決心されたものを、私のような小者の挑発に乗って、簡単にネットでご開陳いただくなんて、すごく感激してます。本の著者からも、直接「内容証明」を送り付けられていたのですね。

おかげさまで、どうして「C先生」が通常の範囲外の行動をとられていたのか、良く理解できました。ありがとうございます。

ところで、「内容証明付の信書」って、良く受け取られるのですか?

2名の高名な学者先生が、「C先生」に対して同じような行動をとられているには、お二人(ブラス私「あらら」)の性格が共通して「悪い」からなのでしょう。(笑)

さて、ご期待の「内容」なんですが、「その2」の方に出しておきますね。

ではでは。

投稿: あらら | 2007年10月26日 (金) 00時33分

>>zorori さん
「教授とは決して謝らない民族」ですから。しょうがないですよ。
教授職人を続けていく上で、必要な能力です。

投稿: O先生 | 2007年10月28日 (日) 03時01分

>O先生さん、

終わった話題かと思ってましたが、私宛にコメントいただきましたので。

そのように、一般論で決めつけるのもどうかなと思います。そうではない教授も知っていますし。

多分、C先生はお忙しすぎてブログを十分管理できないだけなのではないでしょうか。勝手な感想ですが、投稿者とやりとりしたり、コメントを参考にする気がないのなら、公開でコメントを受け付ける意味があまり無いような気がします。以前のメールで意見を受け付けるスタイルで十分ではないかなと。というようなこのコメント自体も意味をあまり持たない気がしてくるんですね。現状は、ブログというよりも掲示板に近い気がします。

ついでに、あららさんが遠山先生の件を持ち出したのは、C先生と同じ穴のむじなではないかと。もちろん、意見の批判ではなく、人物の批判をする必要がある場合もあり、あららさんはそれをしているのかもしれませんけど。C先生の意図はどちらなのかよく分からなくなりました。

B-51さんからも、コメントがありましたので。
タイトルが扇情的な点がスパム的というのなら同感です。
私は、観点が違ってました。

投稿: zorori | 2007年10月28日 (日) 08時47分

地球温暖化は事実なんだから、その原因をハッキリさせろよ。
二酸化炭素が原因じゃないとして、じゃあ、何が原因?
このまま地球温暖化が進めば、ツバルのようになりかねん
のだろ?
まさか、ツバルの海面上昇やヒマラヤの雪が激減している
ことは事実じゃないと言い張っているバカがまだいるのかね?

投稿: ははは | 2007年11月23日 (金) 01時40分

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